リアイベ クヴァール島最終決戦【銀炎】

■<支援部隊>
 ――あのニンゲン、何を?
 暗雲と宵闇に紛れた漆黒の翼は、ブリーダー達の進軍状況の偵察を単騎で行っていた。
 よほど自身の力に自信があるのか、ただ単にひとりで空を舞いたかっただけなのか。
 翼は偵察を続けるうちに、地に這いつくばるその存在へと意識を奪われていた。
 ひとりただひたすらに両手をつき、何かを探す様が妙に気にかかる。
 なぜならばそこは、彼が空へ還った場所の真下になるのだから。
 瞼を閉じれば、いまも鮮明に蘇るあの瞬間。
 空に焦がれるように手を伸ばし、空に溶けていった――ラア。
 漆黒の翼は、いつの間にか火が消えていた煙管をくわえたまま、ブリーダー達に気付かれぬようその高度を下げた。

 桜井そら(ha1380)は闇の中で目を凝らす。
 地に付けた両手の平に伝わる感触に、そして目に微かに映るあらゆるものに、持ちうる感覚の全てを注いだ。
「せめて‥‥何か‥‥」
 呟き、空を仰ぎ見る。
 あそこでラアは貫かれた。
 刃を交えた相手であっても、やはり心配だ。
 恐らくもう消えてしまっただろう。全ては魔力に還り、体は残っていないはずだ。
 だが、何でもいい。可能性は低くても、彼の存在を示す何かが残っていれば。
 その想いだけを抱き、地を探す。
 空で散ったラア。その名残を大地で――「そら」という名の存在が探し続ける。
 遥か上空からそれを見下ろす漆黒の翼は、彼女の名を知らない。
 もし知ることができたなら――その翼、炎烏は何を思うだろうか。
「‥‥これ‥‥」
 そらの指先が、何か柔らかくざらりとしたものに触れた。明かりが強く漏れぬようランタンに布を被せてそこを照らせば、薄ぼんやりと浮かび上がるのは、羽根。
 エレメントではなく本物の鳥の羽根が、幾本もつなぎ合わされそこにあった。羽根の色や模様は多種多様で、何種の鳥の羽根が使われているのか、それはわからない。
「確か‥‥ラアの」
 それは、ラアの上着の襟元にあったもの。その、残骸。
 そらはその羽根を抱き締めると、再び空を見上げる。これで炎烏の心を少しでも解かすことができればと。比較的損傷の少ない羽根――不思議と、それはハヤブサのものばかりだったが――を数本抜き取り、髪に挿す。残りは大切に懐にしまい込んだ。
 彼女は知らない。
 空の果て、炎烏がじっと自分を見つめていたことを。
 もし知ることができたなら――「そら」は何を思うだろうか。


 その塔はただ静かにそこにあり、彼の者の呼吸音が今にも聞こえてくるようにさえ思えた。
 冷たく硬き石の建造物。
 荒涼たる大地に誇示される存在。
 緩やかに、穏やかに――嘆きの色に満ちる大気と調和する。
 外周を巡る階段の手摺に、漆黒の翼が泰然として待ち受けていた。
 その翼は、炎烏。彼の翼の手前では、進路を塞ぐ様に陣を敷いている敵部隊。
 先行する決戦部隊は、敵部隊はおろか炎烏さえも無視し、ただ上だけを目指して駆け抜けていく。
 彼等の背は後続の支援部隊を信頼し、その全てを委ねていた。
「おいおい、無視かよ」
 大仰に眉を上げ、決戦部隊を見送る炎烏。その言葉に呼応するように敵部隊が蠢いた。
 我先にと決戦部隊に追いすがり、塔の入口に群がる異形達。しかしそれらの先頭を行く一団の足元へと、数多もの矢が走り抜けた。
「行ってください! この世界と――彼等との未来のために!!」
 アスラ・ヴァルキリス(ha2173)が敵の脇を抜け、入口に陣取って再びパルティアの弦を引き絞る。響き渡る彼の声に押されるように、決戦部隊の最後尾は塔の中へと消えていった。そして、敵の一団はゆるりとその照準を移動する。
 塔の足元に集結した、支援部隊へと。
 アスラが弦を弾けば、その音からリズムを得て喉を震わせるのはエミリア・F・ウィシュヌ(ha1892)。共に進むミース・シェルウェイ(ha3021)の燐光剣が閃けば、その軌跡を滑るようにエミリアの双想剣が舞い狂う。
 支援部隊の先陣を切って駆け抜ける金色と銀色の影は、しかし敵を倒すことが目的ではない。敵部隊の進行を遅らせ、その注意を集めること。それが目的だ。
 炎烏は互いの部隊が絡まり始めると、「よっこいしょ」とその重い腰を上げる。たん、と軽い音を立てて階段へと降りると、手にしていた煙管を帯にねじ込みながら人の良さそうな笑顔で全てを眺め見た。
 その笑顔にこめられた絶対の自信と余裕は、威圧感となって充満する。
「さあて、どっちがいいかねぇ?」
 炎か、それとも刃か――。
 右手で軽く炎を弄び、左手では刀の鞘を握る。柄ではなく、鞘。そこに、彼の奇妙な余裕さえ浮かんでいた。
「とりあえず、味方への延焼は避けるか」
 呟いて炎を握りつぶし、炎烏は二振りの刀を鞘から音もなく抜き去る。
「――今の、ところは」
 そして言い終えると同時に翼を消し、その足で階段を駆け下りた。下段に力なく構えられた刀は、しかしその切っ先をブリーダーへと向けている。進路には彼にとっての味方達がひしめき合い、ブリーダーの壁と絡まりながらラインを形成する。そのラインの僅かな切れ目を裂くように、炎烏は走り抜けた。
 そして支援部隊が展開する陣形の中央にさも楽しげに躍り出れば、彼の手が触れる位置にいるブリーダー達は一斉に飛び退る。炎烏の周辺にぽっかりと浮かび上がるスペース。次にそこに躍り出たのは、サーシャ・クライン(ha2274)の放つ竜巻だった。
 炎烏はその竜巻を回避し、目だけを動かして風の出所を探す。そこにいたサーシャに目を留めると、右手に持った刀の切っ先を向けた。
「‥‥吹けよ風、轟け嵐、仇なすものへ烈風の裁きを‥‥」
 サーシャは詠唱を始める。
 彼がここにいるうちに。決戦部隊へとその刃を向ける前に。
「シャルロームと競り合ったこの風、今度はあんたが受ける番よ!」
 その言葉に、一瞬だけ炎烏の表情が消える。しかしすぐに右の刀を後方へ引き――。
 サーシャの風刃が放たれた直後、彼は地を蹴り間合いを詰め、その刀を一気に下段から上段へと振り抜いた刀は、風刃の下を掠めて閃く。その刀身に風の魔力を纏って。
 ――カマイタチ。
 その刃はサーシャを傷つけることはなく、その前髪を裂いただけだ。そしてサーシャの風刃は炎烏の髪を裂いたのみに留まる。
「いい風じゃねえか」
 口角を上げ、その瞬間にサーシャの眼前から忽然と姿を消す炎烏。
 その姿はサーシャの遥か後方にあり、そこにあるブリーダー達の陣形を悉く切り崩していた。彼を追おうとして、サーシャは気付く。
 いつの間にか、手には小さな鈴が連なるブレスレットが握られていたことに。
 涼やかな鈴の音は風を連想させる。
「まさか、これ‥‥シャルロームの?」
 炎烏の姿を目で追うサーシャ。その声は戦いの喧噪にかき消された。
「決戦部隊、二階へ進みました!」
 入口でパルティアの弦を弾き続けていたアスラが叫んだ。支援部隊はその声に吸い込まれるように塔の中を目指す。
 決戦部隊の一階突破は敵軍の焦りを誘い、入口付近の交戦は激しさを増す。未だ、誰一人として塔内に入ることは敵わない。しかしそれは外にいた敵軍も同じで、決戦部隊が一階を突破してからそれほど経ってはいないのに、塔内部に突入するまでにひどく長い時を要するようにさえ感じた。
 しかしここで手間取っていては、既に塔内を自在に徘徊するモンスター達の牙が決戦部隊に集中してしまう。そのとき炎烏が離脱して空を舞い、小さな火球をいくつも揺らしながら入口へと急降下を仕掛けた。
 その視線が追うのは、ブリーダーのみ。確実に一人一人仕留めていこうというのか。
「させるか‥‥っ」
 通山真一(ha5452)が弓弦を引き絞る。誰も死なせたくはない。だが、手を抜くことは逆に多くの死を撒く種となる。ただその一心だ。
 火球が炎烏の手を離れようとする直前、真一の弓弦が響いた。
「今だ、一斉掃射!」
 そして炎烏へと降り注ぐ狙撃手達の「雨」。雷や氷を纏いながら、それは確実に炎烏を捉えたと――そう、思われた。
 だが――。
「甘いぜ?」
 炎烏の唇が、言葉を紡いだ。周囲にある火球は分裂し無数に膨れあがる。そして彼に降り注ぐ「雨」を一瞬にして渇かしてしまった。「一滴」も、漏らすことなく。
 炎上し、落下する矢尻。今度は敵味方関係なく頭上に降り注ぐ火の雨を、ソーサラー達の生み出した水が次々に鎮火していった。
「その程度の『雨』じゃ、俺の炎は消えねえなあ」
 この火を、消してみろよ。
 そう言いたげに、炎烏の手から放たれた炎は蛇のようにうねり、ブリーダー達に巻き付いてくる。
 圧倒的な強さを放って炎烏は笑う。
 さも楽しげに口角を上げ、炎を身に纏いながら刀を振るう。
「‥‥ティーちゃん、無理しないようにっ!」
「はい、師匠!」
 ライディン・B・コレビア(ha0461)は少しでも炎烏の行動を阻害するべく、雷を矢に纏わせて放ち続ける。ティセラ・ウルドブルグ(ha0461)がホーリーライトで影を作り上げて炎烏を縛ろうとするがしかし、彼はその直前に空に舞ってかわしてしまう。
 舞い上がった炎烏に、間髪入れずライディンは矢を射続ける。その後方に見える澱んだ空を、もとの美しい空に戻すべく。
「しぶといねぇ」
 炎烏はくつくつと笑いながら、炎をライディンに押しつける。
「諦めたらそこで終わりです。あなた達の本当の願いはなんですか? そして、えんにぃさん、あなたは大丈夫ですか?」
 ティセラはライディンの傷を癒し続け、そして炎烏に問いかけた。
「さあな?」
 炎烏は一瞬だけ笑みを消して呟くと、一際派手な炎を作り上げ、それを壁にして彼等の前から退いていく。そして次のターゲットへと、その刀を振り抜いた。
「‥‥強い」
 誰かが言葉を漏らした。
 オフェリエよりも、ラアよりも、そしてシャルロームよりも――遥かに、強い。
 知略の見え隠れする刀の軌跡と炎のうねりが、これまでの人型エレメントとの格の違いを見せ付けるようだ。
 彼にはまだ余裕がある。まだ、力を押し隠している。
 本当に足止めができるのか――そして、その彼をも従えるファスターニャクリムが持つ強さは、力は。
 一瞬、果て無き絶望が見え隠れするが、しかし誰一人としてそこに浸るつもりはない。
 ――ただ、進むだけだ。

 圧倒的な強さを誇るのは炎烏のみ。
 他のモンスター達には確かに強い部類のものが多い。しかし、ここまで進んできたブリーダー達にとって、強大な脅威とはならない。
 入口付近での攻防は徐々にブリーダー側が押し始め、そして最初のひとりが中に転がり込むと、それに続くように雪崩れ込むブリーダー達。当然、モンスター達も追ってくるが――ブリーダー側が先行した意味は大きい。
 外では迎撃される側だったのが、今度は迎撃する側に変わった。
 塔上部から支援部隊の侵入に気付いたモンスター達が降りてくるが、それらさえも迎撃することができる。
「私にはやるべきことがある‥‥だから、そう簡単には引き下がれません!」
 レイチェル・リーゼンシュルツ(ha3354)は不知火を握り迎撃する。その後方、一階部分の隅に築かれ始めた救護所を護るべく。そこに運ばれていく負傷者達の位置を確実に把握し、彼等に危険が及ばぬように矢を射る。
 救護所では複数の黄金の枝による結界が張られ始めた。結界発動までは間があるが、しかしその枝の姿が拠点の証ともなる。
 ――願わくば、全ての苦しむもの達に安息を。
 その願いと共にリアナ・レジーネス(ha0120)は、この場所を「破壊」するべく迫るトロル達の眼前に石壁を築き上げる。同時に、ロゼッタ・ロンド(ha3378)も救護所を護る壁を出現させる。
 壁に阻まれて足を止めたトロルに、リアナが炎を、タイタス・アローン(ha5479)がトライアルソードの刃を、それぞれ食い込ませていく。
 トロルに刻まれた切り傷はすぐに消え、しかし火傷はいつまでも燻り続けている。
「どうやら火以外の攻撃は治癒してしまうようだ!」
 タイタスは彼に続いて剣を振るおうとしたウォーリアー達に伝えてその剣を引かせ、その代わりにリアナを始めとしたソーサラー達が炎の詠唱に入った。
 次々に炎を纏い、魔力へと帰していく巨体。
「こんなこと‥‥本当に願っているのかい?」
 散る魔力の粒子に、タイタスはぽつりと呟いた。
「救護所ができたわ! そこは死守するから負傷者は向かって!」
「みんなで‥‥帰るんだ!」
 ロゼッタとシャルル・アンブラッセ(ha5178)が伝令に飛び回る。負傷者の数や敵の位置も確認し、支援部隊の面々へと伝え飛ぶ。
 シャルルは発見する負傷者に次々に回復の歌声を聞かせ、戦う者達を加護の舞や剣舞でフォローし、その合間に索敵した結果などをヴェントリラキュイで伝えゆく。
 ゼノ・エリセル(ha4829)は前線で傷を負った者達に回復薬を投げ、魔力の尽きた者へとメンタルリカバーポーションを飲ませていく。誰かが傷を負う端から回復に努め、少しでも皆の為すべきことを達成に近づけるべく支援に尽力する。
「暗雲を払うために!」
 そして今度は刀を構え、倒れゆく者の盾となる。その隙に、澪春蘭(ha4963)が負傷者を担いで救護所へと駆け抜ける。胸元で揺れるペンダントを失わぬよう、意識を払いながら。
 立ちはだかるアンデッド、しかし春蘭は怯むことなく詠唱を始める。
「やれるもんなら‥‥やってごらんよ」
 そして発動するリカバーサークルは眼前のアンデッドと背上の負傷者を包み込む。
 ラムセス・ミンス(ha5519)はパートナーと共に、負傷者の搬送に専念する。ブリーダーとしては駆け出しの自分だが、誰かを運ぶくらいならできる。
「皆、笑顔がいいデス‥‥」
 そのために、ただひたすらに駆け続けた。
 入口からはブリーダーとモンスター達が今も塔内に駆け込んでくるが、しかし炎烏はまだ外で「遊んで」いるようだ。
 皿屋敷迦羅螺(ha5533)は救護所の警戒任務をこなしながら入口に視線を送り、ガーネットハンマーに宿るパートナーの定吉にぽつりと声をかける。
「定吉、ユーも分かりますですか? ヒーは、ベリー、ストロング‥‥」
 先程目の当たりにした彼の強さを思い起こし、迦羅螺は苦笑した。
 ――いずれ、炎烏は塔内に来るだろう。
 運ばれてくる負傷者を救護所で引き受け、「こちらは、任せてくださいな」と治療に専念するのはレク・イテン(ha5394)。コチョン・キャンティ(ha0310)と共に負傷者の傷を癒しつつ、彼等の詳細を確認して各持ち場での戦況把握にも努めていく。
 回復しては戦線に戻る者、入れ違いに治癒を求め運ばれてくる者、救護所では治癒の詠唱が止むことがない。
 カーラ・オレアリス(ha0058)や楊愁子延(ha2187)は声が掠れても詠唱を続け、不安田(ha5462)は彼女達の助けとなるべく、その詠唱を妨げる存在がないか救護所の見張りを徹底する。
 カイン・カーティス(ha3536)もまた、治療に専念していた。
 彼にとってそれは敵も味方も構わない、大差のないこと。救護所へ向かう途中で攻撃の的となる者にはその風除け代わりに身を投じる。
 そうして怪我人に命を繋がせるのは恩を売るついでだ。
「‥‥どう思われようと知ったことか。己が悔い恥じることをしなければいい」
 呟き、詠唱し続けるリカバーサークル。彼に命を繋がれる者は、多い。
 痛みに喘ぎ、戦場という恐怖に未だ慣れずに泣く者もいる。アルフレッド・スパンカー(ha1996)は全ての「傷」を癒すべく、救護所と戦闘のフィールドを行き来する。
 この島に上陸する前からずっと続く戦いに、誰もが疲れを感じないと言えば嘘になるだろう。疲労を抱いていない者を探すほうが難しいかもしれない。
 それでも、皆でエカリスに帰る。
 その一心で、アルフレッドは全てを癒し続けてきた。
「‥‥皆、頑張ろうな」
 その言葉は、同じ部隊の者達に告げられる。
 そして――ファスターニャクリムと対峙する決戦部隊の者達へと、心の中で強く想う。
 想いの力も、そして絆の力も。
 それらが全て力になると――信じて。
「ち。めんどくせぇなぁ」
 篠崎大(ha5527)はそう言いながらも、負傷者に着付け役を飲ませていく。
「ビッグ、相変わらずやる気ないね‥‥。でも今回はボクも嫌な予感がするんだ‥‥」
 ミシェル・アガシー(ha5528)は大と共に救護支援の傍ら、時折前衛で剣を振るっていた。少しやる気のなさそうな大を叱り飛ばすのは、負傷者達にブレッドを配給していた香月・ガブリエーレ(ha5529)。
「少しは真面目におやりなさい! ラファエル!」
「俺は篠崎大だ! ラの字もファの字もねぇ!」
「でしたらビッグなどと呼ばさずに『マサル』とお名乗りなさい!」
「マーちゃんもカッちゃんも、ケンカしちゃダメ〜! 今はそれどころじゃないの。‥‥苦しんでる声がするの‥‥悲しい声‥‥あ! みんな危ないの!」
 救護活動の傍ら、顔を真っ赤にして可愛らしく怒るアリエル(ha5530)はしかし、喧嘩する仲間達の後方に何かを見つけ、叫ぶ。大も、ミシェルも、香月も一斉に振り返り――真後ろにいたブランシェに一瞬だけ息を呑んだ。ブランシェを咄嗟に斬り、息をつく三人。
「ほら! 気を抜いちゃダメなの!」
 そう言うアリエルが実は一番フラフラとどこかへ行ってしまいそうなのだが、それは誰も口にしなかった。

 塔の外では、未だ攻防が続く。塔内は決して広くはない。それは双方が理解していることであり、だからこそ外での攻防も大きな鍵となる。
 ここで互いがどれほど消耗するか。その影響が塔内の部隊や仲間達に与える影響は大きい。
 リル・オルキヌス(ha1317)を始めとするシフール達は、塔の外周を上へ上へと羽ばたいていった。
 中を進む決戦部隊の動きに合わせ、その速度と高度を調整しながら。
 窓から侵入して決戦部隊を阻止しようとする飛行型モンスターは後を絶たない。それらを全て引きつけ、中の部隊の消耗を少しでも軽くするためにリルは先頭を行く。
 手に持つのは小さな妖精の弓。そこに宿るパートナーを感じ取る。
「繋がる心は、解けませんから‥‥」
 ぎゅっと弓を握り、その小さな心に宿る大きな意思を矢尻に込めた。
 高度は上がる。塔の最上階に向けて。
 それは、中の部隊が確実に上へと――ファスターニャクリムへと向かっている証だった。
「随分、上に行ったようだな」
 炎烏は二メートルほどの位置で滞空し、火球を自在に駆けめぐらせてソーサラー達の魔法や狙撃手達の矢と戯れていた炎烏は。細く連なるシフール達を見上げて呟く。
「‥‥俺も、そろそろ中に行こうかね」
 右手に刀を二本持ち、左手で軽く後頭部をかきながら炎烏は塔の入口へと視線を移した。その直後、入口付近で交戦するモンスター達が一斉に横に退いて道を開けた。炎烏が降り立ち、モンスター達に見送られて悠然とその道を進めば、進路上のブリーダー達は右手の双剣に薙ぎ払われていく。それでも向かってくる者には、炎の壁で迎撃を。
 ゆっくりと歩を進めて塔の中へと差し掛かると、外での戦闘を繰り返していた者達の一部が、炎烏を追って塔内へと向かう。それを押し留めるべく、道を開いていたモンスター達が一斉に牙を剥いた。
「行かせません‥‥!」
 土方伊織が炎烏を追う者達とモンスター達の間に滑り込み、方天戟を構える。
「はわわ、みんなが頑張れるようにこっちも頑張るですよ」
 敵の多さに息を呑みながらも、その眼差しは一瞬たりとも逸らされることはない。方天戟を一閃させれば、最前列に蠢くラージアント達の黒き鎧が薙ぎ払われる。
 いつの間にか彼女の両側に立つのは、ディーロ(ha2980)と月夜(ha3112)。飄々と笑みさえ浮かべて闘龍と黒曜刀で敵を裂くディーロに、月夜が無言で蹴りを入れる。
「ちょ、まだ何も変なこと言ってないのにっ!」
「ああ、そうだったか。その笑顔を見ていると今にも言いそうで条件反射で体が動いたようだ。‥‥炎烏は一階の中央付近で止まっているようだ」
 月夜はサーチエレメントで炎烏の位置を把握し、今なお塔内へ向かおうとする仲間達に伝達する。
「笑顔って‥‥。どんな時も笑っておくのが、僕のポリシーだからね。シリアスは任せるよ〜」
 蹴られた痛みに耐えながら敵と対峙し続けるディーロ。月夜は小さく溜息をつきつつ、彼を支援するべく動く。
「どのような状況でも、俺も役目は変わらん」
「その役目って、僕を蹴ること?」
 げしっ。
 再び、蹴りが入った。
 炎烏を追う者達を支援するべく、ブリーダー達がそこに集まってくる。
「他に方法はなかったのか‥‥?」
 リフヴェラ・フォネス(ha4886)は呟きながら、階段を這い上がる蛇たちを方天戟で引っ掛け、確実に一体ずつ対処していく。
「私は私の全力を尽くしましょう」
「あはは、さあ、楽しませてちょうだい!」
 対照的な言葉を紡ぐのは赤村菜月(ha5110)とイアリス・フローディア(ha5115)。
 イアリスはファイヤートラップを仕掛け、すぐさま手前に石壁を築き上げて進軍を阻止すれば、上空から舞い降りる敵影へと菜月の矢が吸い込まれていく。
 そして背を護られながら塔内部へと炎烏を追う者達に、ジェリー・プラウム(ha3274)がグッドラックを使用し、ただ、祈る。
 ――死なないで。
 その祈りは心に残し、魔弾を生成して迫るヴァルチャー達へと投擲していく。
「‥‥私は甘いのかもしれない‥‥でも共に居たいから」
 その呟きは、どこへ向かうのだろう。
 死して礎となるより、生きて未来を作る担い手に――。
 その、想いと共に。

 塔の中は、静まりかえっていた。
 否、恐らく最上階近くでは戦闘の喧噪が響いているはずだ。
 だが、この一階付近では‥‥ただ、静寂がそこにある。
 中央に立つ炎烏。
 彼が塔に入ってきたことで、まるで時が止まってしまったかのように全てが動きを止めていた。
 その隙のない立ち居振る舞いの中から彼の次の行動を読むべく、誰も動くことができない。ブリーダー達も、彼に従うモンスター達でさえ。
 やがて、炎烏が口を開く。
「‥‥ここは俺が引き受ける。てめえらは上へ行け」
 決戦部隊を、追え――その命令が、モンスター達に下された。
 瞬時にしてモンスター達の意識は上へと向き、その進軍を開始する。我先にと階段を目指し、天井付近を舞い、ひしめき合いながら、決戦部隊と同じくただ上を目指して。
 ブリーダー達は動けない。モンスターの進軍を止めなければならないのに、炎烏の次の動きが読めずに、一歩が踏み出せなかった。
「なんだ、ここで終わりか?」
 退屈そうに、炎烏は炎を生み出す――と、その刹那、上へ向かったはずのモンスター達が絡まり合いながら一階のフロアへと「落ちて」来た。
「なんだお前ら、上に行ったんじゃねえのか」
 肩を竦め、次々に戻ってくる手下達を見やる。と、その中に、自身が今率いていたものではなく、既に塔の中で待機して決戦部隊と対峙していたはずの種族を見つけ、炎烏は眉を寄せる。
 そのうちに、彼の耳に、そしてその場にいるブリーダー達の耳に、歌が響き始めた。
 戻ってくるモンスター達の最後尾に、その歌の主はいた。
「こいつらを徹底的に引きつけて‥‥ここに誘導するとはな」
 炎烏は楽しげに笑う。
「私は歌い続ける‥‥皆のために!」
 歌の主は、その凛とした声を響かせる。ずっと喉を震わせ続けてきたにも関わらず、その声は艶を失ってはいない。
 エミリアは、再び歌を紡いだ。
 彼女はミースと共に上へ向かっており、自身の持ちうる歌の全てで敵の意識を引きつけて、決戦部隊と対峙する敵の一部と、これから向かおうとする一団を下へ誘導したのだ。
「てめえら、怖くねえのか?」
「怖れることは何もない。行動あるのみ」
 炎烏の問いに、ミースは静かに首を振る。そしてエミリアと共に、体勢を立て直し始めたモンスター達の渦へと、身を躍らせた。
 響き続ける歌声、広がる渦。
 その流れに乗るようにして、渦に自ら身を投じるブリーダー達。炎烏はさも楽しげに笑みを浮かべ、暫くその様子を眺めていた。
「面白くなってきたじゃねえか。さあ、誰から来る? 誰でもいいぜ、俺に挑みたい奴はかかってこいよ。それとも、来ないなら俺から行こうか」
 そう言いながらも、炎烏は床を蹴る。狭いフィールドをその足で自在に駆けめぐり、隙のある者から順に斬り付けていった。頭上を行くのは炎。彼に迫る矢を、魔法を、包み込むように迎撃していく。
「‥‥もうそろそろ終わりにしようぜ?」
 イニアス・クリスフォード(ha0068)は低く言い放ち、炎烏の動きに合わせるように移動しながら傷つき倒れる仲間達を次々に癒していく。皆、重傷だ。それでも癒されれば剣を持ち、立ち上がる。ただ真っ直ぐ、炎烏だけを見据えて。
「いくらでも回復してやる。だから、あいつだけを見て進め」
 そう言いながら、仲間の背を押すイニアス。もし仲間が彼と交渉に持ち込むのであれば、そこに横槍が入らぬよう徹底的にフォローするつもりだ。
「炎烏のおっさん! 聞いてくれ。こっちにはエカリスの子孫がいる、話がしたい。このままじゃ俺達だけでなく、エレメントも拙い。‥‥何かおかしくないか?」
 龍樹(ha5518)は自身にできる限りのことをしようと、声を張り上げた。炎烏は「そうだな、おかしいなあ」と言いながらも、その炎を消そうとはしない。
 救護に専念する者達がひたすら詠唱を続けても追いつかないほどに、炎烏の攻撃は激化していく。
 だが――。
 救護を続ける者達が、気付く。
 モンスターから受けた傷の中には治癒が遅れれば命を危険に晒すものがあるが、炎烏から受けた傷にはそれがない。
 確かに彼から受ける刀傷はどれも深い。軽傷では済まない者ばかりで、そういう意味ではダメージが大きい。
 しかし、これほどまでに強大な力を持つ炎烏に、なぜ――誰一人として、殺されない?
 これをどう判断するべきか‥‥顔を見合わせるプリーストやハーモナー達。
「‥‥炎烏」
 ぽつりとその名を呼び、音影蜜葉(ha3676)がゆらりと立ち上がった。その眼差しが追うのはただひとり、炎烏。
 炎烏は笑みを浮かべたまま、無言で刀と炎を操り続ける。彼の漆黒の翼はいつしか背から消え、その足だけで駆け続けていた。
 ヘヴィ・ヴァレン(ha0127)はヘビーアーマーを発動し、彼の刀を受け止める。その反動を引きつけつつ弾き返し、その軌道を逸らす。
「やるねえ」
 炎烏は逸らされた刀を弧を描くようにして切り返し、峰の部分でヘヴィの脇腹を打ち付けてその場を離脱、次のブリーダーへと向かっていく。
 痛む脇腹を押さえ、ヘヴィは唸る。そしてロンギヌスに宿るパートナーにそっと声をかけた。
「凩‥‥無理はしなくて良いからな? ‥‥そもそも、暴走って何なんだ‥‥?」
 炎烏は暴走しているのとは違うだろう。これまで出会ったどの人型エレメントも。
 暴走の定義と、ファスターニャクリムの様相と。あらゆるものがヘヴィの脳裏を過ぎっていく。
 モンスター達は次第にその数を減らしていき、まとまりのある渦が小さなものへと分裂していく。その一部が炎烏を支援するように動き始めた。
「ここまで来たんだ‥‥生きて、生かして帰す! 邪魔すんなぁ!」
 ロガエス・エミリエト(ha2937)はアイスブリザードで敵の渦を崩し続ける。その渦の向こうから、炎烏がこちらを見ていた。次の標的はお前達だと言わんばかりに。
 彼が振り抜く刀を受け止めるのは、リーブ・ファルスト(ha2759)。
 腕に伝わる重く鈍い衝撃は足にも響き、炎烏の攻撃力の高さを身をもって体験する。一瞬でも気を抜けば――落ちる。
「‥‥て、てめぇにとって、他の連中はどんな存在なんだ、家族か、手下か!」
「俺に説教でも垂れるつもりか、ガキ」
「うるせえ! 今、てめぇがやってることはファスターニャクリムのためなんだろうが。家族でも手下でも、ソイツのためにならねえなら止めんのが筋だろうが!」
「筋、ねぇ? これが、クリムのためにならないとなぜ言い切れる?」
「うるせえよ、聞けよ! いいか、ソイツのためにできんのは守るだけじゃねえ、現にテメエよりチビスケなのがそのために来てんだぜ?」
 ぎりぎりと擦れ合う刃の音。次第にリーブが押され始めた。腕が痺れるが、炎烏は涼しい顔をしたままだ。
「チビスケ、か」
 決戦部隊の中に、シープシーフの姿があった。あの迷える羊は、進む道を見つけたのか。
 微かに口角を上げ、リーブの剣を地に叩き付けるようにして刀を薙ぐ。吹っ飛ばされたリーブを庇うように、これまで後方で加護の舞や歌を続けていたアリエル・フロストベルク(ha2950)が前に出た。
「ん?」
 眉を上げ、彼女を見る炎烏。
 と、アリエルはおもむろに懐から煎餅を取りだし――。
「ええとっ、あの、えええ炎烏さん! 少し、お話しませんか‥‥?」
 引き攣りながら、笑顔を見せた。
「なんで煎餅」
「え、いえ、あの、お好きかなって思って、咄嗟に、その、はい」
 ガタガタと震えるアリエル。何も考えずに、たまたま懐にあった煎餅を出したはいいが‥‥このあとどうするのか、何も考えてはいなかった。しかし炎烏は彼女が差し出した煎餅を、目を細めて見つめていた。
 戦いの最中だというのに、ふいに蘇る遠い日の――縁側。

 ――カア子や、煎餅食べるかい‥‥?
 そうやって差し出された煎餅を婆さんと一緒に縁側で食べるのが、ひどく心地よくて好きだった。
 家飼いのカラスのようだった自分。
 年老いて皺だらけの手が、煎餅を小さく割ってくれた。
 その煎餅は時々湿気っていることもあったが、いつも美味しくて――。
 こんな長閑な瞬間がいつまでも続くのだと思ったこともあった。

「俺は雄なんだがな‥‥」
 炎烏は少し遠くを見て笑う。
 それでも、「カア子」という呼び名は嫌じゃなかった。
 今、目の前に差し出されている煎餅はあの煎餅とは似ても似つかないが‥‥。
「‥‥いいぜ、話でも、しようか」
 炎烏は笑い、刀を鞘に収めた。それに呼応するように、モンスター達もぴたりと動きを止める。
 ブリーダー達は呆気にとられ、何が起こったのか理解できない。
「話、したいんだろ。しないんだったら、また戦うだけだぜ? ああ、それから‥‥話がくだらないものだったら、今度は容赦しねえ。本気で、やらせてもらう」
 本気で――その言葉に、プリーストとハーモナー達は息を呑んだ。
 やはり彼は、どこかで手を抜いていた。
 しかし、何故そのようなことを――。
 胡座をかき、床に座り込んだ炎烏。どうやら先程の言葉に嘘はないようだ。
 意を決して最初に彼の前に歩み出たのは、シェルシェリシュ(ha0180)。
 じっと彼を見つめ、魔杖を握る手に力を込める。
 あのとき、ラアを狙撃したのは恐らくファスターニャクリム――。その事実に対する切なさと微かな痛みが胸を突く。
「ラアさんがクリムさんに狙撃されたのは、ちょっと、かなり凹むのです。エピドシスじゃむかついたけど、こんなのは違う、と思うのです」
「‥‥で?」
「‥‥炎烏さんは、どう思ってますか?」
「俺、か。どうだろうなあ、だが、あの狙撃は目を疑った」
 漏らす言葉。相手が本気でぶつかってくるなら、自身も返せる範囲で言葉を返そうとする炎烏。時折ちらりと上を見るのは、やはりファスターニャクリムを気にかけているのだろう。あらゆる、意味で。
 次は、ヘヴィ。まだ痛む脇腹を押さえながら。
「ギン‥‥クリムは、人が憎いのか? 滅ぼしたくて‥‥この雲を生み出したのか?」
「だとしたら、どうする?」
「‥‥わかってるのか? 先に影響を受けるのは‥‥お前達エレメントなのに。‥‥俺は、あいつの真意が知りたい」
「真意、ね」
 そこで炎烏は押し黙る。
 元から自身が持っている人に対する敵対心というものは、他の人型エレメントに比べると低い。
 だが、自分に力を与えたファスターニャクリムのためにここまできた。
 言われるまでもない。彼の行為が自分たちエレメントにも悪影響を与えていることは、薄々感づいている。
 ましてや、ラアを貫いたあの光――。
 今、炎烏に内在するのは、ファスターニャクリムへの恩や情と、今のファスターニャクリムが行っている行為が本当に正しいのかという戸惑いだ。
 だからといって、その心情を表に出すようなことは決してしないのだが――。
「‥‥次は、誰だ?」
 炎烏はヘヴィに軽く頷き返し、次を待つ。
 ゆるやかに歩み出て、ふわりと座るのは雛花(ha2819)。見たことのある顔だ、と、炎烏は首を傾げる。どこで見たのか、思い出せないが――。
「前にも会ってるよな」
「会っています」
「だとすれば、性懲りもなく俺の前に来たわけだ」
「‥‥どうなろうと構いませんから。何度でも貴方の、元へ。前へ。そう思って‥‥来ました」
「ふうん? で、何を言うつもりだ?」
「‥‥このままでは‥‥全部、生ける全てが、死滅します。想い、すら」
「‥‥で?」
「貴方を、家族を‥‥一緒にいきて、守らせて。ひとりでも、多く」
「‥‥いきて、か」
 いきる。その言葉の意味の奥に、またあの日の縁側が過ぎる。
 婆さん――。
「‥‥どこで会ったか思い出したら、その願い叶えてやるよ」
 その言葉に、雛花は息を呑む。これは――もう彼の心は決まっているということなのだろうか。しかし炎烏は雛花から目と体を逸らすと、「次は誰だ」とブリーダー達を見渡した。
 そして歩み出たのは蜜葉。深き信念を込めた気配を放ちながら、炎烏の正面に座る。
「そういや、さっきからずっと俺を見ていたな」
「気付いていましたか」
「俺に余程言いたいことがあるようだが」
「‥‥ラアは何処へ?」
「そら」
 蜜葉はまずラアの行方を訊く。それに対し、炎烏はまっすぐに彼女の目を見つめ返して即答した。
「‥‥空、ですか。‥‥では、全ての始まりとは? あなたや彼が知る全てを聞きたい」
「俺も、知りたい」
「‥‥あなたは」
 思いがけぬ答えに、今度は蜜葉が炎烏の目を見つめ返した。
 たとえ戦を避けられずとも、その命を護る。その思いを抱いてここにきていた。
 手を取ることができなくとも、解り合えなくとも。
 その想いが、彼女の中で巡り続ける。
「戦の終にクリムを迎える者‥‥」
 漏れる、言葉。蜜葉と炎烏の視線は交わったままだ。静かな対峙が続く。
「何を考えている? 何をしたいと、思っている?」
 問う、炎烏。
「‥‥もし戦の終戦ののち望むなら、その魂を主の元へ。そして、私達にできること‥‥そう、互いに信を置く者達の出す結末を」
 そこまで言うと、次の言葉を炎烏のそれが遮った。
「見届ける、か?」
「――はい」
 そして一瞬の静寂のあと、視線を逸らしたのは――炎烏。
「‥‥ふむ」
 少し、楽しげに笑う。
 そのとき、蜜葉の陰から現れたのはシフールのキックミート(ha3157)。その姿に気付き、炎烏は目を見開いた。
「羽根、片方ねえのか」
 その問いに、こくりと頷くキックミート。彼女は美しいミヤマカラスアゲハの羽根を持つが、その左羽はもぎ取られている。
「どこにも正義はなくて、誰も認めてくれない‥‥こんなの悲しいだけ‥‥ボクはニンゲンに酷いことを一杯されたけど‥‥まだ怖いと思うこともあるけど‥‥それでも‥‥やっぱり‥‥皆一緒‥‥笑顔‥‥それが、一番」
 そこに座したまま彼女を静かに見守る蜜葉の袖口を掴み、その心を奮い立たせる。
「ニンゲンに、酷いことされたのか」
「‥‥うん。‥‥もう戻れないこと、取り返せないこと‥‥沢山‥‥でも‥‥新しく築くことは‥‥出来る、よ」
 炎烏はキックミートの顔ではなく、羽根から目を逸らさない。
 じっと押し黙り、何かを考え込んでいた。
 そのうちに、彼の周囲にブリーダー達が集い始め――皆、彼を囲むように座り込む。外にいた者達も、全て。
 皆その手から武器を降ろし、コンバートソウルを解除されたパートナーと共に――。
「‥‥これ」
 少し控え目に、炎烏の後方から声をかけたのは――そら。
 彼女は、自身の髪に挿していたハヤブサの羽根を一本抜くと、彼に差し出す。
「‥‥これ、ラアの服のじゃねえか」
 あのとき、地を這い蹲っていたのはコイツか――。炎烏はそらの顔を観察する。
「‥‥私の名は、そら。これ‥‥見つけたから」
 そらは名乗り、その羽根を炎烏の手に握らせた。
「‥‥そら?」
「そら」
「‥‥はは‥‥ははははははっ!!」
 炎烏は、突然腹を抱えて笑い出した。ブリーダー達は顔を見合わせて驚く。
「なんなんだろうなあ、これ。あいつらは俺に何を望むんだろうなあ、いや、何も望まねえかなあ? だが‥‥わかった。てめえらの言いたいことはよーくわかった」
 暫く笑い続けたあと、炎烏はハヤブサの羽根をくるくると回し始める。
「‥‥ラアは、元はハヤブサでな。‥‥片翼を失っていた」
 そして、そらとキックミートの顔を交互に見ながら、突然紡がれる言葉。だがそれ以上は何も言わず、ひどく穏やかな目でハヤブサの羽根を見つめ――。
「‥‥行こうか、上へ」
 全てを吹っ切ったような表情で立ち上がった。漆黒の翼が再びその背に現れ、そして彼はモンスター達を退却させていく。
「てめえらはついてくんな。大人しく外で待ってな。誰に危害を加えることなく――な」
 ブリーダー達は一瞬、何が起こったのかわからなかった。立ち上がった彼を、外に出て行くモンスター達を、ただ呆然と見ているだけだ。
「なんだよ、その顔。行こうって言ってんだよ。クリムの元へ――そしてクリムを止めるべく進んだ、てめえらの仲間の元へ。」
「信じて、いいのですね?」
 蜜葉が問う。
「てめえらが俺を信じるのなら、それを裏切るつもりはないぜ? もっとも‥‥」
 炎烏は満面の笑みを浮かべる。俺は人類側につくというよりは、クリムを苦しみから開放したいだけだがな――そう付け加えて。
 彼の言葉に、最初に立ち上がったのはキックミート。そして、蜜葉と雛花が強く頷きながら続き、全てのブリーダー達が立ち上がった。
 そして誰が指揮を執るでもなく、皆はただひとつの目的へ向けて歩き出す。
「――‥‥着物、お好きなんですか」
 先頭を歩く炎烏に声をかける雛花。炎烏は「思い出した」と呟き、そして煙管をくわえた。
「――そうだなあ‥‥煎餅の次に、好きだぜ?」
 こいつらと煎餅を食うのも悪くないかもしれない――。
 炎烏は、そう思い始めていた。


 ――行こう、共に。
 塔の上で待つ、彼等の元へ。
 そこにある結末から目を逸らさず、全てを見届けるために。
 手を取り合える未来のために、差し伸べるべき手を繋ぎに行こう。
 同じ空を、見上げるために――。

<担当 : 佐伯ますみ>



■<決戦部隊>
 ――――――――――
 今から約千年の昔。
 錬金術師エカリス・ダグラスは、大気中に存在している魔力を生き物の形にする為の研究を行っていた。
 その研究は長年に亘って続けられ、そしてついに、彼は一匹の動物――白銀の毛並みを持つ狼を生み出す事に成功する。
 世界初のエレメントであるその狼は「ギン」と名付けられ、エカリスの許で大切に育てられていた。
 犬のように懐き、エカリスを慕っていたギン。
 しかし、やがて‥‥多忙を極めるようになったエカリスは、ギンの世話を部下に任せる事が多くなっていった。
 ギンの世話を任された部下は優秀な研究者であり、エカリスの右腕でもあった。
 しかしエカリスは、部下の隠された本性を知らない。彼は強欲で残忍な男だった。
 部下にとって、ギンはただの興味深い研究対象でしかなかった。彼は密かに、ギンに対して残虐な実験を繰り返す。
 そして、何年か後――
 エカリスが死んだ。それと時を同じくする様に、ギンの姿も研究所から消えた。
 部下の話によれば、ギンはその姿を狼から人へと変え、何処かに逃げ出したということだったが‥‥

 真相は、僅かに異なる。
 だが、それを知る者はもう誰もいない。
 ただひとり‥‥当時はギンと呼ばれ、そして今はファスターニャクリムと名乗る、人型エレメントを除いて。
 ――――――――――



  フゥーッ
   フゥーッ
    フゥーッ‥‥

  闇の中で荒い息づかいが聞こえる。
  その狭い空間にはヒトの形をし、動くものの影がひしめいていた。
  だが、息をしているのは彼ひとり。
  心臓の鼓動を響かせているのも、彼ひとり。
 『‥‥行ケ‥‥行ッテ奴等ヲ殺セ‥‥!』
  その命令に、命なきものの影はゆらりと動き、一斉に出口を目指す。
 『マダ‥‥足リナイ‥‥俺ノ望ミハ更ナル死‥‥貴様ラノ命デ、コノ俺ニ更ナルちからヲ‥‥!』
  貴様ら。そこにヒトとエレメントの区別はない。
  あるのはただ「自分」と「それ以外」――全ては「敵」だ。
  彼の中に、最初の理想は既にない。
  どこかに眠っているのかもしれないが、それを探すつもりもない。
  全てを破壊する、それだけが彼の望み。

  そんな彼を、もうひとりの「彼」が闇の底から見つめていた。
  だが、彼は気付かない。気付こうとしない。
  「彼」が目覚めたら、自分はどうなる。
  追い出され、消されてしまうのか――

  そんな事は、させない。

  彼は壁に沿って作られた螺旋階段をゆっくりと上り、塔の最上階へ出た。
  頭上に渦巻く暗雲はますますその濃さを増し、塔の上空を‥‥いや、世界中を覆い尽くしている。
  そこに凝縮された魔力を自らの体に取り込もうとするかのように、彼は両腕を空へ向かって突き上げた。
  暗く、黒い――空へ。



 狼の遠吠えが聞こえる。
 それは、間近に迫った塔の屋上から聞こえて来るようだった。
「ついにここまで来たか‥‥長かったような短かったような不思議な感じだな」
 塔を見上げ、ジェファーソン・マクレイン(ha0401)が呟く。
 そう、泣いても笑っても、これが最後。
「どういう結果になるとしても‥‥ケリはきちんと、つけないといけないからね」
 イーリアス・シルフィード(ha1359)の言う通り、ここで決着を付けなければならないのだ。
 どんな幕切れになるか、それはわからない。だが、望んだものに出来るだけ近付ける‥‥その為に、ここまで来た。
 もう、後には退けない。
「クリム様は‥‥いつもあの塔のてっぺんに登って、島の様子を見てるのです」
 ブリーダー達に守られながらここまで一緒に来たシープシーフが言った。
 恐らく今も、ファスターニャクリムはそこにいるのだろう。
「最上階‥‥か。狭いな」
 塔を見上げ、指揮官のオールヴィル・トランヴァースが呟く。
 ここから見る限り、最上階の小部屋は直径3メートルほど。そこから張り出した屋根の部分を含めても10メートル程度しかない。
 闇雲に突撃をかけては、身動きが取れずに自滅する事にもなりかねない。
 それに‥‥彼はまだ最終的な目標を決めかねていた。すなわち‥‥ファスターニャクリムをどうするか。
 倒すべしとする者と、あくまで不戦を貫こうとする者。ブリーダー達の意見はまっぷたつに分かれていた。
「綺麗事は皆に任せる。僕はただ、全てを終わらせる為に動く‥‥それだけだ」
 ルーディアス・ガーランド(ha2203)はファスターニャクリムに引導を渡す事を望んでいた。暴走しているなら、そして、彼を倒す事でしかこの雲が晴れないのなら、倒すしかない。
「ねえエムシ、おいて逝かれるの辛いよね」
 カムイ・モシリ(ha4557)も、今回ばかりは普段の笑顔も、のほほんも‥‥そして迷子、いや、迷いもない。肩に乗ったパートナーを撫でながら言った。
「だから彼は殺してあげようね。彼をエカリスに会わせてあげよう?」
 死んで会えるものかどうか、それはわからないが。
 だが仲間達の殆どは、まだ望みを捨ててはいなかった。どうにかして、彼を説得したい。倒さずに済むものなら――
「ボコってから説得って好きじゃないけど‥‥」
 まひる(ha2331)が拳を握る。
「それで話せるなら‥‥私は、最後の暴力を奮う」
 理解し、そして‥‥共に生きたいから。
「大丈夫、ひどい事はしないよ」
 不安げに見上げるシープの頭を、まひるはそっと撫でた。
 殺さない。ただ、話を聞いてもらう為に‥‥話せる状況を作る為に。
「伝えられる言葉を、伝えられるように」
 ただ、手伝う。エルマ・リジア(ha1965)が真っ直ぐに塔を見据える。
「言いたいことがあるのでしょ? さぁ、行きましょう」
 ストラス・メイアー(ha0478)がシープを促した、その時――
 塔の上で、何かが光った。と、ほぼ同時に‥‥今までシープが立っていたその場所の土がえぐれ、熱線で溶かされた様な穴が開く。
 衝撃で周囲に立っていた何人かが吹き飛ばされた。
 それは、あの遠い空で見たもの‥‥ラアの体を貫いたものと、同じ。
 撃ったのは、塔の上に小さく見える人影、ファスターニャクリムだ。
 誰も動けなかった。ただひとり、レイス(ha3434)を除いては。
「‥‥大丈夫だった?」
 腕の中に抱えたシープに訊ねる。視界の隅にあの光を捉えた瞬間、それがシープを狙った攻撃だと直感し、咄嗟に回避行動をとっていたのだ。
「‥‥う‥‥あ‥‥」
 シープに怪我はない。だが‥‥
「クリム‥‥さま‥‥」
 明らかに自分を狙った攻撃。これで本当に敵になってしまった。わかっていた事だが、その思いは事実としてシープの心に重くのしかかった。
「でも‥‥それでも、助けたい‥‥でしょ?」
 そう言ったのはルシオン(ha3801)だ。
「ぼくも‥‥共存は‥‥夢。だから、来たの‥‥。みんなで、帰ろう‥‥?」
「そうだよ、ボクたちがいる。きっと皆で帰ろ!」
 浅野任(ha4203)が元気に言った。
「だいじょーぶ、君には傷もつけさせん。だから頑張るのよ、君の望みの為に」
 ワン・ファルスト(ha2810)が角の生えた頭を大きな手でぽんぽんと叩き、メンタルリカバーをかける。
 不安と恐怖に怯えていたシープは、それで少し元気を取り戻したようだ。
「大切な人を救えずに折れちゃだめさ、頑張ろう?」
 レイスの言葉に小さく頷くと、顔を上げた。
「‥‥だ、大丈夫、なのです。僕は‥‥皆の仲間なのです。クリム様とも‥‥仲間、なのです」
 誰の敵にもなりたくない。皆と楽しく遊びたい。
「だから、怖くても‥‥行くのです。クリム様に、僕の話‥‥聞いてもらうのです」
「わかった。‥‥行こう」
 レイ・アウリオン(ha1879)が頷く。暗雲の中見出した希望の光、この子だけは潰させない。
 塔の前に、進路を塞ぐ様に陣を敷いている敵の姿が見える。その後ろ、塔の外周部分に作られた階段の手摺に、黒い翼を背に負った男が座っていた。
「炎烏、俺はこの子が泣かずに済む世にしたいだけだ。手を取り合わなくてもいい、共に生きてはいけないのか?」
 その男、炎烏には聞こえていないだろう。こちらも、答えを求めてはいない。
 その答えを引き出すのは、彼と対峙する事を選んだ仲間達の役目だ。
「‥‥この羽根が、消えてしまう事のないように‥‥」
 密原帝(ha2398)が懐から取り出した黒い羽根に語りかける。
 それは以前、戦いの後で拾った炎烏の羽根だ。エレメントである彼が命を失えば、この羽根も消える。
 だが、そんな事はさせない。仲間達が、きっと上手くやってくれる。
「だから、僕達は‥‥」
 自分のやるべき事を。あの塔に登り、ファスターニャクリムの許へ。
「‥‥ダグ」
 オールヴィルが傍らの親友フェイニーズ・ダグラスに声をかける。
「場合によっては倒す事になるかもしれん。‥‥いいな?」
「‥‥ああ、わかってる」
 フェイニーズは静かに頷いた。
 彼が暴走しているなら、それを止める術は‥‥まだ、ない。
 そして彼がこの暗雲の原因であるなら、倒すしかない事はわかっていた。
「‥‥よし。目指すは塔の最上階。まずはそこに、全員無事に辿り着くこと――行くぞ!」
 号令と共に、ブリーダー達は走り出す。
(「‥‥これ‥‥終わったら、‥‥何描こう‥‥この島の絵‥‥描きたい‥‥な」)
 そんな事を考えながら、ぼんやりと周囲の風景を眺めていたアルビスト・ターヴィン(ha0655)も、慌ててその後を追った。
 この作戦が終われば、青い空が戻る。木々の緑も、毒に侵された水さえ甦るかもしれない。
 彼等は行く手に待ち受ける部隊には目もくれず、その間をすり抜けるように全力で駆け抜けた。階段で待ち受ける炎烏さえも無視して走る。
 そこに残り、彼と対峙する仲間達を信じて。



  ヒトの中に混ざって、羊の匂いがする。
  こちらをじっと見ている、ヒトガタの子供。シープシーフ‥‥無事だったらしい。

  ――良かった‥‥

  どこか心の奥で、そんな声がする。
  消えろ。お前は出て来るな。
 『‥‥ウラギリモノ‥‥』
  そう、裏切者には死を。
  あの役立たずを消した様に、あの裏切者も消してやる。
 『‥‥魔力ニ還リ、我ガちからトナルガイイ‥‥!』

  だが、羊はヒトの手で護られた。
  忌々しい、もの。
  羊もろとも、全て‥‥全て、消してやる。



 ブリーダー達は階段を駆け上がる。
 それを追う様に高く飛んだアストレア・ユラン(ha0218)が加護の舞を舞い、その援護を受けて彼等は塔の内部へ通じる扉の前へ立った。
「あ、待って‥‥!」
 そこに何か大きなものがいる‥‥サーチエレメントで探りを入れたジノ(ha3281)が警告を発する。
「やっぱり、何かいるんだ?」
 警戒しながら、フィン・ファルスト(ha2769)が扉を開く。
 ――ゴオォッ!
 その瞬間、猛烈な臭気を放つ生暖かい突風が襲いかかった。毒のブレス、そして奥にいるのは‥‥ヴェノムドラゴン。
「いきなりかよ!」
 誰かが叫ぶ。しかし開けてビックリはお約束だ。いくら警戒しても、これは防ぎ様がなかった。
 真っ正面からブレスを浴びて毒を受けた者達を、難を逃れた者が運び出す。階段の踊り場を臨時の救護所して、プリースト達が総出で治療に当たった。
「皆さんのおかげで私は伝えられた‥‥今度は皆さんに」
 想いを、心を伝える機会を作るために、ここまで来た。でも、どうすれば伝わるのだろう。
 リュミヌ・ガラン(ha0240)は治療の手を休めることなく、しかし想いはどうしても、空へと向かってしまう。
(「どうしてラアさんは? 知りたい‥‥でも訊けば、シープさんを悲しませる」)
 シープはまだ、ラアがあの空へ還った事を知らない。いつかは告げなければならない事だが、まだ誰も、それを告げられずにいた。
 彼の‥‥ファスターニャクリムの心が晴れたら、あの雲も晴れるのだろうか。
「‥‥やってくれるじゃない!」
 治療を終えたフィンは再び薄暗い部屋に突っ込んで行く。窓はあるが、光はなかった。
「フィンちゃん、皆さん、帰ってきてくださいね」
 その背を見送ったレイスがそっと呟いた。
 ドラゴンのブレスは普通、一日一回。もう、あの攻撃はない筈だ。だからといって、それで倒しやすくなるかと言えば‥‥そう簡単な相手でもないのだが。
 部屋の隅に置かれたランタン――ルイス・マリスカル(ha0042)が用意したその明かりに照らされ、ドラゴンの黒っぽいウロコがてらてらと光る。
 小さな部屋に、みっちり詰まった巨体。どこから入れたんだというくらいに大きい。自然、ドラゴンの動きは制限されるが‥‥それでも尻尾を振り回すくらいの事は出来る。そして対するブリーダー達にも逃げ場がないのが困りものだった。
 それに、ドラゴンの体液は全て毒だ。返り血を浴びるだけでリタイア必至。
「だったら、届かない場所から攻撃すれば良い」
 ルーディアスがストーンウォールで壁を作り出し、その陰をぬいながらカムイがバックアタックや疾風脚を使って一撃離脱を繰り返す。
 治療を終えたワンも壁の後ろからホーリーを連発し、その命を削る。
 だが、毒を喰らう事などお構いなしに特攻をかける者達もいた。
 こんな所でモタモタしている暇はない。フィンは両手に持った大剣をぶん回し、ドラゴンに斬りかかる。
 毒、上等。喰らったら外で待機している叔父や仲間のプリーストに治してもらえば良いのだ。
 そして切込隊長を自認する帝もまた、先頭を切って突っ込んで行った。ヴェノムドラゴンは仲間に任せ、アンデッド達がぞろぞろと下りて来る階段を駆け上げる。
 その後ろに続くのは御影藍(ha4188)とシャルロット・エーギル(ha4860)だ。
 シャルロットは二人にグッドラックをかけ、階段の上に魔弾を投げ付けて道を開く。その後を追う様に帝と藍が敵を蹴散らしつつ走った。
「『皆』で一緒に生きてエカリスに帰りましょう!!」
 彼等の後に続くのは、リリー・エヴァルト(ha1286)とその家族、そして仲間達。
「両足踏ん張って食い止める!」
 リリーを背に、東雲雷太(ha1328)は敵の攻撃を正面から受け止めた。自分は世界を平和にできるほどの人間ではないが‥‥
「あいつ一人ぐらいは、平和に暮らさせたい」
 その隣ではアレン・エヴォルト(ha1325)が盾を構える。リリーに向かう敵は全て食い止める覚悟だ。
「リリー、お前は自分のやりたい事を‥‥ただし、無理はするなよ」
 だが、そうは言ってもすぐに無茶をしたがる妹には、言葉よりも行動。無茶も無理も出来ないように、皆で援護すれば良い。
 リリーの隣にはアーク・ローラン(ha0721)が黙って付き従い、背後からはヴィンデ・エヴォルト(ha1300)とマルヴェ・エヴォルト(ha1301)の双子が続く。
「‥‥笑顔、で。いてもらうために‥‥いるために。力を貸してね、チルハ」
「だいじょぶ、だいじょぶだよっ。行こうっ♪」
 頭には、いつもの様にナッビ(ha4788)が乗っている。
「リリー姉ちゃんはボクが守るよ」
 大勢の仲間に囲まれ、護られたその姿を見て、一番最後からのんびりと上がって来たブラッド・ローディル(ha1369)が、くすりと笑った。
「忘れるんじゃないよ、リリー。お前さんは一人じゃない」
「‥‥」
 ブラッドの言葉に、リリーはしっかりと頷いた。自分の想いを叶える為に、こんなにも多くの仲間が動いてくれる。何としても、届けなければ。

 迫り来る敵を蹴散らしながら階段を登り詰めた彼等は、上の階へ通じる扉の前へ出た。
「塔の外観から推測するに、この先も下の階と同じ様な構造になっていそうだね」
 罠などはなさそうだが、とブラッド。いや、この先で待ち受けるであろう敵そのものが罠、か。
「気配はするけど‥‥エレメントじゃないみたい」
 サーチエレメントで室内を調べたジノが言った。ワンのデティクトライフフォースにも反応がない。という事は、全てアンデッドか。
「でも、あとちょっとだよね。‥‥頑張ろうっ!」
 ここまでの道程を考えれば、残りはあと僅か。物理的にも、心理的にも‥‥
「シープ君、手伝ってもらえますか?」
 レイスの頼みに応えて現れたのは、ふわもこの羊の大群。開け放たれた扉から雪崩れ込んだ毛玉は、待ち構えていた死者達を踏み潰し、薙ぎ倒し‥‥あっという間に消える。
 これで少しは楽になっただろうか。
「これ以上、死者の眠りと我の安寧を妨げさせぬ‥‥」
 ミスティア・フォレスト(ha0038)がトルネードで巻き上げた死者達を窓から外へ吹き飛ばす。
 だが、その一撃だけで葬れる筈もなく、投げ出されたそれは塔の外で戦う仲間達に襲いかかった。捨てるだけでは、結局他の誰かが処理しなければならないのだ――ゴミと同じで。
「後には退かない」
「戦い抜いてみせる!」
 富嶽源(ha0248)に伊達正和(ha0414)、そしてルイス。
 腕に覚えのある者が敵を蹴散らしていく。
「お前達にはこれで充分だ」
 アッシュ・クライン(ha2202)が両手に持った小太刀を振るう。ラーグ・ノヴァに持ち替えるのは、まだ先だ。
 敵の中には物理攻撃をすり抜けてしまう者も多いが、下の階でドラゴンを沈黙させたルーディアスや、シープを守るアルビスト、エルマらソーサラー、そしてワン達プリーストが加勢に入る。
 そうして次第に狭くなる等の内部を、ブリーダー達は上へ上へと登り詰め――



  とうとう、奴等がここまで来た。
  足止めにもならないとは‥‥役に立たない。
  エレメントも、モンスターも、死者から作り出したものも、全て役立たずのカスだ。
  そう、この雲の餌になるしか能がない者ども――
  ‥‥良いだろう。もう、充分だ。時は満ちた。
  今こそ、この力を解き放ち‥‥破壊する。
  全てを。この世界さえも。
  もう、何もいらない。



 この上に、彼がいる。
「ずっと会いたかったんだと思う、パートナーに、エカリスさんに」
 緊張した面持ちで階段の上をじっと見つめるシープに、陸珠(ha0203)が声をかけた。
「ただそれだけで、だからそんなに優しくて、疲れちゃったのかなぁ‥‥」
 最後は、半ば独り言の様に。
「ダグさん、エカリスさんの事を伝えてもらえる? イリュージョン、試してみようと思って」
 幸せだった頃の事を思い出したら、元に戻ってくれるかもしれない。
「ま、俺も詳しく知ってる訳じゃねえが‥‥」
 フェイニーズが応える。何しろ千年も昔の話だ。子孫とは言え情報量がそれほど多い訳でもない。
 わかっているのは、ギンという名前と‥‥エカリスが彼をとても――初めて成功した実験の成果だからという以上に大切にし、可愛がっていたこと。
「後は想像力で補うんだな」
 その言葉に陸珠は頷き、仲間達に向き直る。
「じゃあ、行こうか」
 ファスターニャクリムを説得したいという、シープの願いを叶える為に。
「‥‥大臣さんは?」
「いや、俺はいい」
 フィンの問いかけに、フェイニーズは首を振った。自分の言いたい事は、もう全部伝えてある。
「後は‥‥任せる」
 どんな結果になろうとも。

「‥‥クリム‥‥さま‥‥?」
 屋根の上に出たシープ達の目の前に立っていたのは、異形の存在だった。
 人の形をしてはいるが頭は狼。そして長い腕の先からは銀色の体毛と鋭い爪が覗いている。
 そして更に、その体には黒い霧の様なものがまとわりついていた。
「‥‥あの雲が‥‥?」
 アストレアが物陰から目を凝らす。確かにそれは、ファスターニャクリムの体から出て――或いは入って、あの頭上を覆う暗雲と繋がっている様に見えた。
 とすると、やはりファスターニャクリムが元凶なのだろうか。
「‥‥もし、あなたがそれを作り出しているなら‥‥」
 アストレアはお願いしてみた。雲を晴らしてくれるように、と。
「クリム様! 僕からもお願いなのです!」
 ブリーダー達に守られたシープが続ける。
「もう、こんなことやめて欲しいのです! 僕は、皆と仲良くしたいのです!」
 だが、ファスターニャクリムにその声が耳に入っている様子はない。ただ、黙ってそこに立ち尽くしているだけ――
 ――と、突然何の前触れもなく、シープの足元から火柱が立ち上る。
 今度は、誰も動けなかった。
 弓で狙いを定めつつ、ホークアイで動きを警戒していたストラスも、屋根に突き立てた大剣を盾代わりにシープの前に立ち塞がっていたレテ・メイティス(ha2236)も、何かあったら割って入ろうと待ち構えていたエルマも‥‥一度はその危機を救ったレイスでさえ。
「シープくん!?」
 フィンが、続いてワンが駆け寄る。幸い、まだ息はあった。
『‥‥ソウカ‥‥魔法ニハ強カッタナ‥‥』
 ファスターニャクリムの喉から耳障りな、聞き取りにくい声が漏れる。
『ナラバ、コノ牙デ噛ミ砕イテヤロウカ‥‥!』
 人と狼が混ざった様な姿は、完全に狼へと変身を遂げた。
 そのまま、アルビストが作り出したストーンウォールさえ軽々と飛び越えて、狼は治療を受けながら階下へと運ばれるシープに飛びかかった。
「させるか!」
 レイがその体に豪破斬撃を叩き込む。
 しかし――
「効かな‥‥ぐあっ」
 構えた盾ごと、レイの体は鋭い爪に引き裂かれ、吹き飛ばされる。
 次の瞬間、ほんの一瞬‥‥シープの姿を探して視線を彷徨わせた狼の眼前に、レテが飛び込んだ。
「これ以上、あの子を傷付けさせは、しません。あの子に、同胞を傷つけさせる事も‥‥」
 彼も。彼らしく、在れたら良い。だが、今の彼は――何か違うものになっているのではないか。
「俺は――あの場所に戻る為に」
 ここで倒れる訳にはいかない。しかし、狼の姿をした今の彼には攻撃が通用しなかった。
 ならば魔法はとソーサラー達が試すが、それも効いている気配はない。
「まさか‥‥魔法も剣も効かないのか!?」
 誰かが叫ぶ。嘆きと絶望が入り交じった様な、悲痛な叫び。
 これで、どう戦えと言うのか。
 恐らく、原因はあの雲だ。黒い霧となって狼の体に絡み付いている、あの魔力を帯びた雲。
 だが、それがわかっていても‥‥切り離す術を、誰も知らない。
 その間にも、荒れ狂う狼の爪に、牙にかけられ、仲間達が次々と倒れていく。
 ハーモナーの唄も、全く効果がない。陸珠がイリュージョンで送り込んだ幻覚も届かなかった。
「‥‥退却だ」
 オールヴィルが喉の奥から絞り出す様な声で言った。
「一時撤退して、体勢を立て直す!」
 その暇があれば‥‥そして、立て直してどうにかなるものならば。
「わかりました、他の皆に伝えるのですっ」
 華鈴(ha1070)が伝令に走る。
「私の小さい力でも、きっと足しにはなるはずですっ」
 だが、その流れに逆行する者が、ひとり。
 アークは隠密潜行を使い、狼の背後から忍び寄った。その気配を感じ、振り向いた狼の牙が迫る。
 だが、アークは動かなかった。コンバートを解き、相棒のセエレを解放する。
「行って良いよ。オフェリエ探しに」
 言いながら、狼の牙に向けて自分の腕を差し出した。
 腕を噛ませるか頭突きか――何でも良い、とにかく触れたかった。
 触れて、伝えたい。背負ったものを分けて貰えないかと。
 しかし――その目の前に飛び出した影。
「リリー!?」
 リリーはアークの動きに気付いていた。
 何を考えているのかも。
 だが、そのままただ見ている訳にはいかない。
 ――同じ命。何かを守ることも‥‥手を伸ばすこともできないのは嫌だから。
 両腕を広げ、アークを庇う様に立つ。
「リリー、どけ!」
「‥‥また、無茶を‥‥リリー!!」
 やるんじゃないかとは思ったが、やっぱり。
 狼の牙を受け止めたのは、アレンの盾だった。だが、受け止めきれずに盾は砕け、反動で3人は纏めて吹き飛ばされる。
 狭い足場を転がり、屋根の端から真っ逆さま――
 しかし、白い翼がそれを受け止めた。
 リリーをしっかりと抱き抱えたアークはセエレが、アレンはエヴァーグリーン・シーウィンド(ha0170)の相棒、シムルのカルサイトが。
 セエレはオフェリエを探しに行く気はないらしい。二人を地上に降ろすと、そのまま彼等を守ろうとする様に翼を広げ、じっと塔の上を見上げた。



 『――ドコヘ逃ゲルツモリダ‥‥?』
  逃げ場など、どこにもない。
  逃がしはしない。
  誰も、何も――



 白銀の狼が、跳んだ。
 撤退するブリーダー達の後を追い、塔の外壁を伝って弾む様な足取りで降りて来る。
 まるで獲物をを追い、追い詰める事を楽しむ様に。
 そして実際、ブリーダー達は追い詰められていた。
 打つ手がない。剣も魔法も効かないのでは、逃げるしかないではないか。
 だが、逃げてどうなる。恐らく次の機会はない。
 この暗雲をこのままにしておけば、あと数日でコンバートさえ出来なくなるかもしれない。
「何か‥‥何か手はないのか!」
 この状況を打開し、全員が無事に帰る方法が。オールヴィルは血が滲むほどに固く拳を握る。
 と、その目の前に――
 黒い翼が舞い降りた。
「‥‥炎烏!」
 何故、彼が? 仲間達はどうなった? まさか、全滅‥‥?
 悪い方にばかり、考えが巡る。
 しかし炎烏は、清々しいまでのさっぱりした表情で僅かに笑みを作った。
「おいおい、何やってんだお前ら‥‥」
 しょうがねえな、という風に首を振る。
「この雲‥‥晴らしてくれんじゃねぇのかよ?」
「炎烏‥‥!」
 来てくれた。言葉が、想いが届いた。レイは思わず顔を綻ばせる。
 と、その言葉に応える様に、炎烏はレイの胸元に何かを投げた。茶色い羽根がふわりと飛んで、手の上に落ちる。
「これは‥‥ラアさん、の‥‥?」
 手元を覗き込んだリュミヌが言葉を詰まらせた。
 それは、彼が服の襟元に付けていたハヤブサの飾り羽根だった。
「空を、取り戻すんじゃねぇのか?」
 その時、黒い雲を見上げた炎烏の背に耳障りな声が聞こえた。



 『‥‥炎‥‥烏‥‥オマエモ、カ‥‥』
  裏切者。
  いや、元々誰も信じてなどいない。
  全て、消すだけだ‥‥



 白銀の狼が跳躍する。
 炎烏に向かって、真っ直ぐに。
 だが、それはソーサラー達の作る石壁に阻まれる前に――

 ――んべぇえぇ〜〜〜

 羊の群れに押し潰された。
「おおおぉ、羊君。無理はいかんのよー」
「‥‥だいじょぶ、なのです」
 起き上がったその背を支えるワンに、シープが微笑む。
「今のうちに、なのです。そんなに‥‥長くは出来ないのです」
 そうしている間にも、羊は急激に数を減らしていく。
 しかし、どうすれば良いのか‥‥
「‥‥あの雲は、黒い魔力の塊‥‥なんですよ、ね」
 リリーがぽつりと呟く。
 どこかで、誰かが‥‥反対の魔力をぶつければ相殺されないだろうかと、そう言っていたのを聞いた気がする。
 それに、あの実験。皆で手を繋いだこと。
「‥‥やって、みましょうか」
 リュミヌが応える。その手には、レイから受け取った羽根が握られていた。
 それを手のひらに乗せ、その上にリリーが手を重ねる。
 二人の手に包まれた羽根は、ほんのりと温かい。
「たくさんのもの、あなたは遺してくれました。私は‥‥何か渡せたでしょうか」
「私達はエカリスにはなれないけれど‥‥傍にいたい。生きてたい。同じ時を生きたいという想いが、ある」
 想いを言葉にし、繋いだ手は、鎖の様に伸びて狼の周囲を取り囲んで行った。
「聞いてよっ! ボク達はまだ‥‥一緒に笑えるはずだよ!」
 ナッビが手を添える。
 そこに繋がるのは、シープシーフ。
「クリム様‥‥僕は、クリム様も、皆も‥‥大好きなのです」
 どこかで鈴の音が聞こえる。風の音にも似た、軽やかな音色。
 その音に、フィンは何故か――彼女を思い出した。
「シャルロームは、貴方をそんな風にするために逝ったの?」
 その手は、エルマへ。そしてエヴァーグリーンへ。
「人だと言葉にしないと想いわかんないんです! 想いを教えて‥‥!」
「皆で楽しく笑いあえる、僕はそんなほうが好きだなぁ」
 エヴァーグリーンから、陸珠へ。
 そこに手を乗せた帝の手には、黒い羽根が握られていた。その羽根を落とした本人は輪に入らないのだろうかとちらりと見ながら、藍の手をとる。
 藍はその手に「太陽の花」を握り締めていた。
「私達と共に生きませんか?」
 その想いは、レテへ。
「‥‥晴れたら、良いですね。空も」
「‥‥届け!」
 その手を、精一杯の思いを込めてまひるが握る。
「ここは‥‥クリムの‥‥心、なんだね?」
 空を見上げながら、ルシオンが手を重ねた。
「ごめんね‥‥苦しかったね‥‥。でも、繋いだ手は‥‥離れない。居ていいの。クリムも女神の子だよ」
 その手に、次の手が重なり、想いの輪は大きく広がっていく。
 止めに来た者も、戦いに来た者も、人も、エレメントも――この雲を晴らしたいと願う者、全ての想いが繋がる。
「背負ったの、分けて貰えない?」
 先程は言えなかった、伝えられなかったアークの言葉で鎖が閉じる。
 ――後はお前の望むように‥‥

 白銀の狼を抑え込んでいた羊の、最後の一頭が消える。
 と、同時に――
 狼の周囲から、白い光が押し寄せて来た。
 それは、魔力と共に放たれた「想い」の波動。重なり合い、絡み合ったそれは、輪の中心に立つ狼の体を包み、空へと立ち上っていく。
『ク‥‥ッ、ガア‥‥ッ』
 光の波に洗われた狼の体は、星を散りばめた様に輝いて見えた。
 黒い霧は、見えない。
 上空には相変わらず黒い雲が渦巻いているが、その繋がりだけは断ち切る事が出来た様だ。
「なら、もう攻撃が効くってことだよな」
 ルーディアスが前に進み出る。
 雲が消えないという事は、やはり「彼」が元凶なのだ。倒さなければ、明日も未来もない。
「ここに貴方が会いたい人はいない。だから送ってあげる」
 続いてカムイが歩み出る。
 しかし、その時――
「待って!」
 ナッビが止めに入った。
「お願い、もう一度だけ、話をさせて!」
 リリーはやはり、彼と話がしたいだろう。だから、それができるように守る。
 ナッビは自分にディフェンシヴエレメントをかけ、リリーにはグットラックをかけて‥‥いつもの定位置、頭の上に乗る。
「止めても、聞かないんだよな」
「リリーお姉ちゃんを助けるよっ」
「帰るために。ちゃんと、ただいまを言う為に。みんなが笑っていられる為に」
「皆をやらせたりさせない、させるか」
 兄が、双子の弟と妹が、そして幼馴染が援護に回る。
「説得もいいけど無理すんな!」
 任の声に送られ、リリー達は体を強張らせて蹲る狼に近付く。
 手を伸ばせば届く様な距離。
 そこで立ち止まり、リリーは膝を折った。
「エカリス・ダグラスは‥‥もう、この世界には居ないの。でも‥‥」
 私達がいる。
 一緒に生きましょう。
 ――そう、告げようとした時。
『グアアァァッ』
 狼が吠え、リリーに向けて飛びかかった。
「リリー姉ちゃん!」
 その前に飛び出したナッビは、鋭い爪の一撃を受けて吹っ飛ばされた。
 先程の、暗雲の力を受けた状態なら間違いなく死んでいただろう。
 だが、それで皆が救われるなら、命をかけても惜しくない――
「ナッビさん!」
 その体を助け上げたリリーの前に、アレンと雷太が立ちはだかった。
 もう、戦うしかない。
 リリー達を守りながら後退する彼等と入れ替わる様に、攻撃陣が前へ出た。
「お前に恨みはないが、消えてもらう。それだけだ」
 アッシュは得物をラーグ・ノヴァに持ち替えて臨む。相手の攻撃など気にしない。ひるまず、確実に。
 説得不能と見たルイスも、皆の判断に従う。
 優しさを盾に、勇気を剣に。
 出来ることなら説得を待ちたかったが――
「とどめを刺す。これでいいのかなんて分からない。だが、今全てを終わらせる。それだけだ」
 ルーディアスは狼の足を止めるように石壁を築き、更にその行動範囲を狭めるべくファイヤートラップを仕掛ける。
 だが‥‥まだ諦めていない者は多かった。
「ファスターニャクリム‥‥ギン! あんたを止める、あんたを想う人達のために!」
 フィンは自らにパワーチャージをかけ、ヘビーアーマーを使って狼に組み付く。
 動きを止めたところに、エヴァーグリーンがメンタルリカバーをかけ続けた。
「少しでも暴走が収まれば‥‥!」
 そう、今は暴走しているだけだ。それが治まれば、きっと話を聞いてくれる。それを、信じて。
「藍ちゃん、僕らも行こう」
 帝が藍を促す。ここには植物らしいものの姿はない。いつもの様に空を飛んで‥‥という訳にはいかないが。
 帝は狼の目の前に立ち、武器を捨てた。コンバートが解かれた相棒を、腕に巻いた金の鎖に再びに宿らせる。
 フィンに代わって、狼の攻撃を真っ正面から受け止め、そのまま鋭い爪の伸びた前足を掴んだ。
 もう片方の足を、意思疎通薬を口に含んだ藍が掴む。
「ほら‥‥繋がった」
 帝は無理にでも笑う。
「エカリスはもう居ない。私達と共に生きませんか?」
 藍はもう一度繰り返した。
 繋いだ腕を繋ぐロープはいらない。そんな事をしなくても‥‥
「約束したんだ‥‥繋いだ手は、絶対離さないって。帰ろう? 『エカリス』へ」
 帝が言った。約束をした相手は、彼ではないけれど。
「えんうと、ニャは結局自分がどうしたいのさ?」
 ちょっと遠巻きに、任が話しかける。
「ボクたちが憎い? 別にいいけど、ボクたち戦う理由とかないよ? 此処にシープと来たのも、一緒に生きたいからだし?」
「遅くなって‥‥ごめんね‥‥。今更かもしれないけど‥‥一緒に、生きよう?」
 ルシオンが手を伸ばす。
「過去に何があったのかは知らぬが、共に歩むことはできぬのか?」
 ジェファーソンが訊ねる。
「共に歩めぬとしてもお互いが傷つけあうことに意味はないだろう? 何を望む‥‥そして、それで幸せになることはできるのか?」
 答えはない。
「‥‥一緒に見ませんか? 青い空を‥‥」
 リュミヌの問いかけと同時に、藍は手にした太陽の花を狼の胸に押し付けた。
 それはエレメントの進化を促すもの。条件も揃わずにただ使っても、何の効果も得られないかもしれないが――
『グ‥‥ガァアアァッ』
 金色の光が弾け、地面に転がる。花には何の変化もない。しかし‥‥
 狼は苦しげに悶えていた。握った手を振りほどき、天を仰ぐ。
 何がきっかけになったのかは、よくわからない。太陽の花か、それとも受けたダメージが蓄積したせいなのか、或いは‥‥漸く想いが届いたのか。
 その全てがそれぞれに、何かしらの影響を与えたのかもしれない。
 何かが、狼の背で揺らめいていた。陽炎の様な半透明の揺らめき。その中に‥‥人の姿が見えた。
 穏やかな、優しい笑顔。
「――クリム様!」
 シープが叫ぶ。
「あれは、クリム様なのです! いつもの、優しい‥‥クリム様なのです!」
 その「ファスターニャクリム」は、何かを訴えかける様にシープを‥‥そしてブリーダー達を見た。
「何だ? どうしたい!?」
 まひるが手を伸ばす。
 外に出たがっているのだろうか。
 だが、半透明のそれはまるで幽霊の様で‥‥掴み所がない。掴んで引張り出すという訳には、いきそうもなかった。
「取り憑いたエレメントを追い出すには――」
 強い意志をもって攻撃すること。
「でえぇいっ!」
 まひるは拳を叩き込んだ。
「――出たっ!?」
 狼の体から切り離された「それ」は、暫く何かを探す様に周囲を見渡し‥‥
 つい、と、風の様に動く。
「‥‥え? えぇっ!?」
 それは目を丸くして見つめるシープに重なり‥‥消えた。
 ぎゅっと目を閉じたシープは、やがて再びその目を開ける。
『‥‥私を、殺して下さい』
 口から出た声は、シープのものではなかった。
 どうやら「ファスターニャクリム」がシープに取り憑き‥‥話をしているらしい。
「殺せとは、どういう事だ?」
 この一種異様な状況にあっさりと馴染んだオールヴィルが訊ねる。
『‥‥いや‥‥殺せと言うのは‥‥適当ではないかもしれません。私はもう、とうの昔に‥‥命を終えた存在なのですから』
 ブリーダー達の間に、衝撃が走る。
 聞き知った物語とは、異なる話。
「‥‥確か、伝承では‥‥」
 白銀の狼はエカリスの死後、研究所から姿を消したのではなかったか。
『姿を消したというのは‥‥本当です。ただ、私は‥‥エカリスの後を追う様に‥‥』
 度重なる実験と虐待で、狼‥‥ギンの体力は限界に達していた。
 それでも何とか命を繋いでいたのは、いつかエカリスが迎えに来てくれると、そう信じていたから。
 しかし、エカリスは来なかった。
 迎えに来ないまま、死んでしまった。
 その後を追う様に、ギンも一度はその生を終えていたのだ。
『‥‥でも、私は‥‥普通のエレメントとも、そして勿論‥‥人間とも、違っていました。肉体を失っても、尚‥‥この世界に留まる事が出来たのです』
 与えられた高い知能と、魔力。
 それを使って、魔力から器を作り上げた。
 ヒトの形を選んだのは‥‥ただの感傷だったのかもしれない。
『‥‥あの研究者に対する恨みや憎しみは、ありました。でも私は‥‥彼に復讐するつもりで、ここに残った訳ではありません』
 その筈、だったのに。
 気が付けば‥‥裏の人格とも言うべき、憎悪や憤りに満ちたものに、心を支配されていた。
『それが‥‥あれ、です』
 ファスターニャクリム‥‥ギンは地面に蹲る白銀の狼を見た。
 ギンはその視線を上空に渦巻く雲へと移す。
『あれは、私が作り出したもの。そして‥‥私が消えなければ、あの雲も‥‥消える事はありません』
 だから、自分を殺してほしい。
 ギンはそう言った。
『あの狼が、私の本体です。あれが消えれば‥‥私も消える』
 穏やかな笑顔。
『‥‥早く。今は断ち切られていますが‥‥あの雲は間もなく元に戻ってしまいます』
 そうなったら、また手も足も出なくなる。
 決着を付ける時が来た。
 本当にそれしか道はないのか‥‥もっと足掻きたい。もっと粘って、僅かでも可能性のある事なら、全て試したい。
 だが、その時間は残されていなかった。
「‥‥やるぞ」
 誰かが呟き、武器を手に取った。



  ――えかりすハ、俺ヲ捨テタ
   ――違う

  ――俺はタダノ研究材料ダ
   ――違う

  ――暴走シタモノハ全テ殺ス‥‥ソレガ人間
   ――違う

  ――俺達ハ、魔法ヤすきるヲ使ウ為の道具デシカナイ
   ――違う

  ――仲間ヲ殺ス手助ケヲ喜ンデシテイル、裏切者‥‥
   ――違う

  ――キエテ、シマエ‥‥スベテ、ナクナッテシマエ‥‥



「違う。けど‥‥もう、いい」
 ブリーダー達は武器を収めた。
 あと一撃で、白銀に輝くこの体に宿っていた存在は消える。
「‥‥とどめ、だ」
 ルーディアスがロッドを構える。躊躇いは、ない。
 次の瞬間、狼の体は霧となって大気に溶け始める。
 同時に‥‥シープに宿っていた存在も、その肉体を離れた。
「‥‥あ‥‥クリム‥‥さま‥‥っ!」
 シープが、次第にその色を失って行く淡い影に両手を伸ばす。
 だが、その手に触れるものは何もなかった。
 どうにかして「ギン」の存在だけでも救えないかと、まひるがエレメントの宝珠を使ってみるが‥‥無論、効果はない。
 ただ、満足した様な‥‥穏やかな微笑を浮かべ、それはクヴァールの大気に溶け込んで行く。
 シャルロームが、そしてラアが消えた空に。



 ――終わった。
 今度こそ‥‥彼はエカリスの許へ辿り着く事が出来ただろうか。
 塔の上空に渦巻いていた暗雲が、ゆっくりと薄れて行く。
 それでも、この島に太陽の光が降り注ぐ事はないが――
 いつかは、取り戻してみせる。
 この島にも、かつては存在した筈の‥‥青い空と、太陽。そして星々の輝きを。

「仲間を傷つける事、お願いして‥‥ごめん。ありがとう」
 コンバートを解いたまひるは、相棒のハヤブサに話しかける。
 そして、人の輪から離れて佇む二人の人型エレメント、炎烏とシープシーフに向き直った。
「‥‥あんた達の話を、聞かせてもらえるかい‥‥? どんなでも、受け止めたいんだ」
 その言葉に、炎烏はただ、手にした煙管から灰を落とし‥‥口の端を歪める。
 そんな彼の着物の袖を、シープが不満げな様子でくいくいと引っ張った。
「ん‥‥まあ‥‥ぼちぼち、な」
 ――コツン。
 炎烏は小さな角の生えた頭を手の甲で軽く叩くと、長く尾を引く紫煙をゆっくりと吐き出した。

「‥‥さあ、帰ろう」
 誰かが言った。
 消えてしまったものも‥‥皆、一緒に。
 振り返った視界の中で、主を失った塔が薄闇に佇んでいる。
「まぁ、とりあえず。‥‥ありがとう、な」
 小さく呟いたアークの言葉は、まだ暗雲の残る空に吸い込まれ、消えた。

<担当 : STANZA>



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