リアイベ クヴァール島最終決戦【銀炎】

■<本部隊>
 枯れ果てた裸の森の中を、ぞろぞろと‥‥みっともない姿をしたいきもの達が這う様に進んでいる。
 何故、こんなものがここにいるのだろう。
 何故、こんなものの姿を‥‥あのひとは真似たのだろう。

「‥‥まったく、嫌になるわ」
 この姿で気に入っている点は、ふたつ。
 ひとつは、可愛いドレスが着られる事。もうひとつは、そうして着飾った姿を「彼」に褒めて貰える事。
「そうよ、あたしはクリム様の一番のお気に入り。あたし以外に、二番も三番もないわ」
 今日は、前に彼が一番似合うと褒めてくれた、淡い空色のドレスを着て来た。髪に結んだリボンは、もっと濃い‥‥空の青。
 今は見えないけれど、彼の目的が果たされた時には、きっと明るい空が戻って来る。
 青い空と、白い雲、そして緑の大地に、ヒトはいない。邪魔な年増もいない。
「そうよ、世界にはあたしとクリム様だけがいれば良いの」
 他には何もいらない。
 その為なら、何でもする‥‥例え、汚い仕事でも。
「でも、ドレスが汚れるのはイヤ。汚したら、許さない」
 汚さなくても、許さないけど。
 彼の元を発つ時、笑ってくれなかったのは‥‥微笑んで「今日も可愛いね」と言ってくれなかったのは‥‥きっと、あたしがまだ充分な働きをしてないから。
 でも、この作戦が終わったら。
 ニンゲン達を皆殺しにしたら。
 きっと褒めてくれる。「君が一番だよ」って言ってくれる。

 だから‥‥本当はこんな汚い所、一秒だっていたくないけど。
「クリム様の為だもん」
 何だって我慢する。
 そう、例え残り物の掃除だって。



『‥‥そうる、あーく‥‥そこに、僕と似た人がいるですか?』
 まだ海岸線に陣を張っていた頃。聖なる島の探検話を話して聞かせた陸珠(ha0203)に、シープシーフは目を輝かせていた。
 この空が晴れたら、一緒に探検に行こうと誘った。皆で遊べるように頑張ると、約束した。
 なのに‥‥
「どーしてこうなっちゃうのかな〜」
 戦いたい訳ではないのに。ただ、この雲を晴らしたいだけなのに。
 戦いは、避けて通れない。通らせてくれない。
「嫌な、雰囲気です‥‥」
 上空でホークアイを使い監視を続けているリル・オルキヌス(ha1317)の目に映るのは、暗く荒んだ、そして腐り果てた世界。
「‥‥まるで、世界が泣いている、みたい‥‥だね‥‥誰も、笑ってない‥‥」
 キックミート(ha3157)が見上げた空に、太陽の姿はない。
 空は黄金色の笑みを零す代わりに、白い涙を流し続けていた。
「ごめんなさい‥‥泣かないで‥‥ください‥‥」
 次々と地上に降り立つブランシュ達と、その叫びを聞いて身動きがとれなくなった者達。
 その双方に、アリエル・フロストベルク(ha2950)はひまわりの唄を歌う。
 まだ本格的な戦闘が始まった訳ではないのに、救護班は忙しく動き回っていた。
「こんなに暗いと‥‥絵、描けない‥‥ね」
「大丈夫です。こうして照らせば、ほら!」
 場違いな台詞をぽやんと呟いたアルビスト・ターヴィン(ha0655)の目の前に、ティセラ・ウルドブルグ(ha0601)がランタンをぶら下げた。
「気持ちが沈むと、どよどよんとしてしまうのです。いつも心に太陽をです」
 空にないなら、せめて心の中に。そうしているうちに、きっと太陽は戻って来る。いや、取り戻す。
「そうですね。こんな時だからこそ笑顔は絶やさずに」
 ジェリー・プラウム(ha3274)が微笑んだ。無理にでも笑っていれば、きっと良い事があるから。
「この地では私達が侵入者、怒りを買うのも判るけど‥‥」
 遠慮していては、進めない。
 森の中の敵は、先行した仲間達が引き付け‥‥或いは片付けてくれている筈だ。自分達が警戒すべきは、主に海岸線。
 ティセラも、師匠のライディン・B・コレビア(ha0461)も、アルビストも、サーシャ・クライン(ha2274)も、リーブ・ファルスト(ha2759)も、気にしているのは海や空だった。
 襲撃に備える者を海岸の側に、森側には食料や資材を運ぶ部隊を配置し、ゆっくりと進む。
「はわわ、頑張って警戒するのですよー」
 奇襲に対して警戒しつつ、掩護部隊を護衛するのは土方伊織(ha0296)。ほや〜んとしているが、多分任せて大丈夫、な、筈。
「私にも何か出来るはずだ‥‥何か‥‥」
 リフヴェラ・フォネス(ha4886)はパートナーの目も借りつつ、海岸線に立って補給部隊の護衛を努める。
 ルオウ(ha2560)もまた気配に気をを探りつつ、犬のパートナー、シャロスの鼻も頼りに襲撃を警戒しながら進み――
「――来ました!」
 だが、高い位置から見る事の出来るシフール達の方が発見が早かった。
 アストレア・ユラン(ha0218)とリルが同時に叫ぶ。
「海と‥‥それに、森の方からも! ウォータードラゴンに、サーペント、それに‥‥グランパス。空からはアンデッドイーグル、森からは‥‥」
 敵の数と種類、それに方角を伝えようとしたアストレアが息を呑んだ。
 その視線の先、森の奥から現れたのは、今までに見た事のない‥‥ドラゴン。
「ぐっ、何だこの匂い‥‥っ!?」
 リーブが思わず咳込んだ。
 彼の指示で仲間達は全員マスクを付けていたが、それでも‥‥鼻の奥が痛む程の悪臭が襲いかかって来る。
 赤く爛れた様な皮膚を持つその巨大な生き物は、森の瘴気を身体に取り込んだ為にその吐く息から体液まで全てが猛毒となった、ヴェノムドラゴン。
 それが、二体。ブリーダー達の行く手に立ち塞がる。
 そして海からも――
「いくよ‥‥っ! 皆、頑張ろう! ソーサラーはストーンウォールで壁を!」
 エミリア・F・ウィシュヌ(ha1892)が仲間に指示を出す。
 海側の敵は海棲モンスターが殆どだ。障害物で塞いでおけば、それ以上は上がって来られないだろう。
 今は森の方を重点的に――
 だが、その壁は上陸して来たウォータードラゴンの巨大な尾の一振りで跡形もなく消えてしまった。
「こいつ、上がってこれるの‥‥!?」
 しかも、歩いている。海蛇であるサーペントとは違い、ウォータードラゴンは短いながらも鉤爪の付いた四肢を持っていた。
 ‥‥と、それがぐいっと頭をもたげ‥‥口を開いた。
 次の瞬間、水弾の息が吐き出され、正面にいたブリーダー達を薙ぎ払う。
 ブレスを吐き終わったドラゴンは、部隊の退路を断つ様にその太く長い体を大地に投げ出した。
 そればかりではない。打ち寄せる波に乗って、次々と海から上がって来るグランパス。彼等も最初の一撃こそは波打ち際のブリーダーを狙って来るが、それを外されればもう、そこに転がっている事しか出来ない。
 サーペントにしても、自らの体を鞭の様にしならせて地上を薙いだ後は、力尽きた様に横たわるのみ。
「‥‥何だ、これ‥‥!?」
 浜辺に転がり死んだ様に動かない彼等の姿に、誰かが思わず声を上げる。
 これでは、まるで攻撃してくれと言っている様なもの‥‥自殺?
「いや、エレメントやモンスターが自殺なんて‥‥」
 聞いた事がない。
 気味が悪い。
 これも、あの黒い雲の影響なのだろうか。
 それとも‥‥誰かの命令?
 よく見ると、彼等の瞳は皆‥‥赤く染まっていた。


「‥‥くっくっく‥‥」
 何処からか、小さな笑い声が聞こえる。
 少女の、声――
「どう、楽しんでるかしら?」
 くすくす。
 遥か海の上から、ペガサスに乗った少女がこちらを見下ろしていた。
「や、奴じゃない!」
 思わず叫んだタイタス・アローン(ha5479)の声に、少女‥‥オフェリエの神経質そうな細い眉がぴくりと震えた。
「何、それ? どういう意味?」
 刺す様な冷たい声が響く。
「‥‥ねえ、もしかして‥‥あんたが待ってたの、あのバカ? あたしじゃ役者が不足してるってワケ? ガッカリってワケね? ふーん、そう?」
 冷たい声が、ますます冷たさを増し‥‥
「ねえ、知ってる? あたし、掃除ってキライなの。でも、あんた達が来るっていうから、仕方なくこうして出て来てあげてるのよ? それを何? ずいぶん失礼な言い草じゃない」
 クックック‥‥オフェリエは喉を鳴らす。
「死んで良いわ、あんた達。汚い死体は、毒の沼が綺麗に片付けてくれる。さあ、森に向かって進むのよ」
 細い腕が、ついと上げられた。
 途端、二頭のヴェノムドラゴンがその巨体からは想像も出来ない速さでブリーダー達の背後に回り込む。
 片方が大きく口を開け――体の中に溜め込んだ毒素を一気に吐き出した。
 マスクを付けていても、それは防げない。
 更にもう一頭は、鋭利な歯の様な突起が付いた長い尾を振り回し、周囲の木々ごとブリーダー達を薙ぎ払う。
「くそっ、逃げ場がない!」
 海岸線にはモンスター達が次々と打ち上げられ、それを避けて通るのも難しい有様だ。
 かといってこのまま森の中を進めば‥‥
「そこ。それ以上。行くな。毒の沼だ」
 影山虚(ha4807)が止める。落ちたら‥‥ダメージを受けるだけでは済みそうもなかった。
「‥‥なんて、逃げてる場合じゃない‥‥っ」
 ライディンが踏みとどまり‥‥振り向く。
「‥‥だね。逃げてたって、始まらない‥‥!」
 応えたのは、レイ・アウリオン(ha1879)だ。
 反撃開始。すぐ後ろは毒の沼、まさに背水の陣。そして更に、森のあちこちから湧き出て来るのは生ける屍達。
「上等だ、これくらい切羽詰まってた方が盛り上がるってもんさ! 大事な食料や資材だ、敵に食わせるなよ!」
 キツイ時こそ強がりを言うのが漢というものだ。レイは士気を高める為に、皆を煽る。
「仲間だろうとモノだろうと、任されてる以上は全力で護る。絶対通さねぇ‥‥!」
 ライディンは毒を浴びる事を逃れた仲間達に、一斉攻撃の指示を出した。
 まずは最も厄介なドラゴンの、片方を集中攻撃。
「‥‥早くしないと、‥‥拙いですね。‥‥」
 呟きつつ、レテ・メイティス(ha2236)は剣を振るう。重傷を負った者を治療する場所を、急いで確保しなければ――
 だが、ぶよぶよと弛んでいる様に見えるヴェノムドラゴンの皮膚だが、その表面は鋼の様に固かった。
「ふん、固ぇのが何だ!」
 リープが吐き出す様に言った。
「まずはその邪魔な尻尾から斬り落としてやるぜ!」
 ‥‥と言いたい所だが。それよりも体の動きを止めるのが先か。
 リープはポイントアタックで足の関節を狙う。
「負けらんねえ‥‥!」
 ルオウも同じ場所を狙い、脆くなったそこにレイがスマッシュを叩き込んだ。
 ――と、ドラゴンの裂けた皮膚の隙間から大量のどす黒い体液が噴き出し、近くにいた者達の頭上から降り掛かる。
「‥‥痛っ!!」
 それが皮膚に触れた途端、焼ける様な痛みが走った。
「体液にも毒がある様だな」
 アンチドートでの治療を施しながら、アルフレッド・スパンカー(ha1996)が努めて冷静に言った。
「だが、大丈夫だ。こんなものはすぐに治る」
 敵の多さと厄介さ、そして地理的条件の悪さに折れそうになる心を奮い立たせる。
 皆に安心感を抱いて貰う為に、何が有ろうと、自分は決して心を折ってはならないのだ。
「皆でエカリスに帰ろう!」
「当たり前だ!」
 ぷりぷり怒りながら、ロガエス・エミリエト(ha2937)がありったけの魔法をぶちかます。
「あーもう、狭いし暗いし邪魔多いし、やりにくいったらありゃしない!」
 しかし、固い敵には魔法の方が効くらしい。
「地味だけど、確実にこなさないとね」
 援護に回ったサーシャだが、大丈夫、地味だけど確実に効いている。
 その証拠に、ドラゴンの動きは確実に鈍くなっていた。
「よし、次っ!」
 凶器の尻尾を振り回す力もなくなったと見たライディンは、標的をもう一頭に切り替える。
 そちらはアルビストが次々と作り上げるストーンウォールと遊んで――いや、格闘している所だった。
 壁そのものは、ドラゴンを足止めする程の強度はない。だが、邪魔なそれを崩す為の行動で攻撃が阻害されるなら。
「さっさと転がして、こんな森はさっさと抜けるっ!」
 もういやだ、こんな森っ! 抜けてたらみんなでモヤシプリンパーティ‥‥というのは多分冗談だ、けど。
「はいっ、わかりました師匠っ!」
 あれ、本気にしてる人がいる。豪快に斧を振り回しているティセラだ。


 一方、ドラゴンの相手はパワーのある仲間に任せて、こちらは対アンデッド部隊。
 彼等は救護班のメンバーを背後に守りながら戦っていた。
「流石にこの辺りまで来ると、ただのゾンビという訳にもいかんか」
 自分の攻撃が通用しないと見て、ミース・シェルウェイ(ha3021)が呟く。
 物理攻撃が効かなない相手でも、体を張って止めることはできる。が、それだけでは倒せない。
 ミースは魔法職の仲間に援護を求めた。
「‥‥負けない、から」
 澪春蘭(ha4963)がそれに応え、ホーリーやリカバーで容赦なく攻撃を加える。
 だが、デッドファイターなどのパワータイプを相手にした場合、魔法職が前に出るのは危険だ。
「物理職と組んで連携をとった方が良かろう。エミリア、後ろへ」
 だがエミリアはじっとしていない。ひまわりの唄と妖精のワルツで味方を援護しながら動き回っている。
 ミースは黙ってその後に従う。ただ、行動あるのみ‥‥だった。
「負けはしない、俺たちは勝つ」
 自分にできる事を全力でやり遂げる事を誓った富嶽源(ha0248)は、押し寄せる不死者をひたすら押し返す。
 赤村菜月(ha5110)は味方から突出しないように注意しながら、_敵の群れからはぐれた者や味方に襲いかかっている者に攻撃を加えていった。
「ここは絶対に通しません! この命に代えても通す訳にはいかないのですわっ!」
 誰一人、死なせない。
 黒曜刀を手に立ち塞がるソフィリア・エクセル(ha2940)の背後には、臨時の救護所が出来ていた。
 通山真一(ha5452)が張った黄金の枝による結界の中に、怪我人が次々と運ばれて来る。
「‥‥お願い、します‥‥」
 背負って来た仲間を託すと、レテは再び前線へ戻って行った。
「大丈夫!こんなに沢山のブリーダーがいるんだから!!」
 運ばれて来たばかりの怪我人を、ジノ(ha3281)が励ます。自身は回復の手段を持たないが、魔法で治療を施す者にスピリチュアルリカバーで魔力を補給するくらいなら出来る。
「いくら来ようが通しません」
 前線部隊のすぐ後ろで援護に当たるレイチェル・リーゼンシュルツ(ha3354)は、そこを抜けて来た敵を通さない様、救護所に近付けさせない様に、ひたすら弓を放った。
 そうしながら、味方の動きにも目を配り、様子がおかしい者にはすぐさま駆け寄る。
 虚もまた、隠密潜行で隠れつつホークアイで負傷者や行動不能者を探し、救護所へ運び続けた。
「一人も欠けることなく、みんなで行きましょう」
 レク・イテン(ha5394)のその言葉が、この場に居る全員の想い。
「御飯大事。御飯大好き。‥‥お腹、すいた」
 御飯大好きなコチョン・キャンティ(ha0310)がぽそりと呟くが、今は御飯よりも治療に専念、治療が大事。
「御飯はみんなに任せるの!」
 コチョン、頑張った。
「はい。御飯は、あとで皆さん揃って仲良く美味しく頂けると良いですわね」
 レクが応える。皆と一緒だと、きっと‥‥もっと美味しい。
「うん、今回も頑張るよっ!」
 シャルル・アンブラッセ(ha5178)が頑張るのは、御飯の為では‥‥多分、ないけれど。
 怪我人にはやすらぎの唄、防御の手が足りない時には加護の舞と剣舞――


 その頃、前線では二頭目のドラゴンが大地に横たわっていた。
 と言っても、殺した訳ではない。無益な殺生は望まないという理由も勿論だが‥‥そんな余裕はないと言った方が良いかもしれない。
「さあて、元人間だろうが魔物だろうがよ、これ以上進む奴は永眠を進呈だ」
 リープは攻撃の効かない相手をトリッピングで転がし、それを行動を共にするロガエスやアリエルに託す。
「あたいに、出来る事やろう」
 テフテフ(ha1290)は未だ戦い続ける仲間達の気持ちが沈まないように、ひたすら歌い続け、励ましていた。
 アストレアは現場の軽い怪我程度なら戦線を離れずに回復出来るように、仲間の間を飛び回ってはやすらぎの唄を歌う。
「諦めずに参りましょう」
 カーラ・オレアリス(ha0058)も、前線で応急処置に当たる。
 残るは森から際限なく湧いて来る不死者のみ。
 もう、それらは無視して突っ走ってしまおうかと考え始めた、その時。
「‥‥ちょっと、何してるの?」
 上から少女の声が降って来た。
「あたしのドラゴン、ハンパな事されて苦しんでるんだけど」
 ペガサスに乗った少女、オフェリエは続けた。後方――無力化されたドラゴン達が置き去りにされた、その方角をじっと見つめながら。
「困るのよね。きっちりケリ付けて貰わないと」
 オフェリエは、片手を上げ――
「‥‥待って」
 彼女が何をするつもりなのか、それを察したキックミートがコンバートを解き、前へ進み出た。
「理解‥‥しあえなくても‥‥争いが正しいわけじゃ、ない」
 その背にあるのは、一枚きりの羽根。
「‥‥人を殺すために‥‥味方も沢山犠牲にして、平気なの‥‥?」
 あの海岸に打ち上げられたモンスター達。あれもきっと、目的の為の犠牲――生贄なのだろう。
 ドラゴン達も、きっと。
「わかんないわ。あんたが何言ってるのか」
 オフェリエはその顔にあどけない微笑を浮かべた。
「世界の全ては、あたしとクリム様の為だけに存在するのよ? あんたのその汚らしいイノチも、死ねば少しは役に立つかも、ね?」
 エレメントの死も、ニンゲンや動物達の死も。あの黒い雲に力を与える為のものでしかない。
 彼にもっと大きな力を与える為には、もっと多くの「死」が必要なのだ。
 オフェリエにとって、戦いとはその死を作る事でしかない。
 指先が、真っ直ぐにキックミートの胸に向けられる。
 だが――何も起きなかった。
 オフェリエの持つ攻撃魔法は全て、月や太陽の光がなければ使えないものばかり。
「‥‥うそ‥‥っ」
 今まで、気付かなかったのだろうか。
「うそよ‥‥だって、あたしは‥‥クリム様の為に‥‥クリム様が、あたしの力を奪うような事、する筈ない‥‥!」
 ――そうだ、魅了の力。これなら、使える筈。同士討ちさせてしまえば良い。
 しかし、それも‥‥熟練したブリーダー達には何の効果もなかった。
「‥‥もう‥‥いいんだよ‥‥? もう‥‥頑張らなくて‥‥いい‥‥の」
 ルシオン(ha3801)が、宙に浮かぶオフェリエに向かって手を差し出す。もう片方の手は、お守りをぎゅっと握り締めていた。
「僕は、これだけの怨憎があって尚増やす必要性を感じない」
 カイン・カーティス(ha3536)が見上げる。
「降りて、来ないか?」
 オフェリエの瞳に、青い炎が走った。反対に、頬には真っ赤な火が宿る。
 ――屈辱。あり得ない程の、恥辱。
「‥‥それって‥‥何? 同情? バカにしてるの?」
「違う」
 誰かが言った。
「一緒に、生きたいだけだ」
 差し延べられる手が、増えていく。
「そこじゃ、届かないよ。降りて来ない?」
 人懐こい笑顔が零れる。
 だが‥‥それはオフェリエにとって辱め以外の何ものでもなかった。
「‥‥ふざけ‥‥ないで」
 震える声が、喉の奥から絞り出される。
「‥‥ふざけないで、ふざけないで、ふざけないでっ!!」
 声は、絶叫に変わる。
「この、あたしが? あんたたちの穢らわしい手を? ねえ、どうするの? どうするのよ? まさか、お手てを繋ぎましょう、とか?」
 ――あははははっ!
 狂気じみた笑い声が響く。
「‥‥こんな屈辱、生まれて初めて‥‥今日ほど、あんた達ニンゲンを皆殺しにしたいと思った事、ないわ」
 しかし、今の自分にその力はない。
 皆殺しにして、彼の役に立つ事も出来ない。
「‥‥なさけない‥‥やくたたず。いましましい、くも。だけど‥‥これが、くりむさまが、のそんだもの。‥‥くりむ、さまが‥‥ほしいって、いったのは‥‥あたしじゃ、ない‥‥の‥‥?」
 ――ぱさり。
 静かな音を立てて、純白のペガサスが暗黒の空へ舞い上がる。
 その背に、放心した様に乾いた笑いを漏らし続ける少女を乗せて――



 ブリーダー達は、オフェリエが飛び去った空を呆然と見上げていた。
 だが、ぼんやりしている暇はない。地上にはまだ、不死者達の姿が残っていた。
 それに、仲間達が全員揃っているのか、その確認も出来ていない。
 物資を運搬していた部隊は最初の攻撃で一部が分断されてしまったが、彼等は無事だろうか。


 やがて敵の攻撃もまばらになった頃――
「私の力、お役に立てればよいのですが」
 華鈴(ha1070)が、部隊同士の連絡役をかって出た。
 武人のスピードを生かせば、敵の攻撃を避けて通る事も出来るだろう。
 その結果もたらされたのは、無事の知らせ。
 彼等を呼び寄せ、部隊は再びひとつに纏まる。
「‥‥行きましょう、今はまだ、それしかできないから」
 菜月が、ぽつりと言った。

 森の出口はもう、すぐそこだった。

<担当 : STANZA>



■<先行隊>
「空って何色だったかな‥‥」
 見覚えのない色に、ラアは言葉を漏らす。
 イーグルドラゴンの背に寝転がり、手を伸ばす。広げた指の隙間から陽光が漏れることはなく、そこから覗くのは未だ降り続ける蛇の面影。
「アンティ、お前は覚えてるか?」
 イーグルドラゴンに問いかけても、空の色は変わらない。
 決して、あの色を忘れたわけではない。
 忘れたわけではないが――記憶の色を押し潰すかのような、鈍く澱む空。
「オレが空にあったころは、こんな色じゃなかった」
 だが、あの空を作り上げたのはニンゲンではない。
 空から視線を逸らし、寝返りを打つ。眼下に広がるのはニンゲン達が言うところの『腐敗の森』。
 単純な思考として、ニンゲンが憎い。そして、感情の奥底から湧き起こる本能的な憎悪は思考する必要さえなく、蓄積された怒りがそれらをさらに増幅させる。
 しかし今、この瞬間にもあの森を進むのはニンゲンで、あの空を元の色に戻そうとしているのもニンゲン。
 しかし、それによって自身の信念と彼等への憎悪が消えるかと言えばそうではない。
 憎いものは憎いのだ。
 ファスターニャクリムからの命令があろうとなかろうとそれは同じだ。
 それに、彼への忠誠心など元から大して持ち合わせてはいない。
 自分は、心の赴くままに――潰す。

 ――あの空を作り上げたのはニンゲンではない。

 再び過ぎるその思考は、強引に打ち消した。


 視界の悪い――と言うにはあまりにも暗い、腐敗の森。
 枯れ果てた木々がアーチを描いて来訪者達を歓迎する。
 腐臭と瘴気と、体を蝕み揺らめく毒を吐き出す沼と。数多もの、死せる存在と。
 空から舞い降りる白い魔力のブランシュが薄ぼんやりと浮かび上がって見えれば、そこが死の国への入口であるかのような錯覚を覚える。
 北は、そして南は。天地さえも時間さえもわからなくなりそうな、深き森。
 死せる存在に囲まれる度に、では自分は果たして生きているのだろうかと――嫌なことを考える。
 それでも先行部隊のブリーダー達はひたすらに突き進む。
「鬼が出るか蛇が出るか‥‥蛇は出たから次は鬼、ですかね」
 ランタンを揺らし、援護隊の前衛についたルイス・マリスカル(ha0042)が呟く。
「今はただ、前に進むしかないんだよな」
 ルイスのランタンを後衛から目で追うのは、イニアス・クリスフォード(ha0068)。もう後戻りはできないことを、自身に、そして周囲に言い聞かせる。
「さぁて、どうなるかしらねー」
 小さく浅い沼へと次々に石壁を倒し込んでいくのはロゼッタ・ロンド(ha3379)。後続の者達が進みやすいよう、橋を作り上げていく。六分で消えてしまうが、その短い間だけでもかなりの数が渡ることができる。
「これまた、絵本にでも出てきそうな森だね‥‥」
 ディーロ(ha2980)は澱む森の気配に小さく息を漏らす。
「‥‥腐敗の森‥‥か。確かにその呼び名の通りだな」
 悪友の月夜(ha3112)は手近な木にグリーンワードで呼びかけてみる。森の入口付近の木々はほとんどが死に絶え、反応を得ることはできなかったが――。
「‥‥反応が、あった」
 ようやく生きている木に巡り会った。
 どうやら、この腐敗の森は完全に死に絶えているわけではない。奥へ行けば行くほど――生命力は弱いが、それでもまだ生きている木々の姿が見られるそうだ。
「それ、本当? 気のせいじゃなくて?」
 ディーロがさりげなくくだらないことを言う。月夜は毎度の如くその足を振り上げ、ディーロの向こう臑を派手に蹴り飛ばした。
「気のせいじゃ、ない」
 そしてディーロを置いてすたすたと進む。ディーロが追いかけて来やすいように、足場のいい場所を選んで――。
「さあ、どこから来るっ!?」
 先行するノルマ・コノエ(ha1672)は、己をデコイと化して敵の出方を見る。アンデッド達は来訪者の姿を見るとすぐに襲いかかってくるが、それ以外の敵は若干警戒心を出してすぐには襲いかかってこないようだ。それらを見切り、ノルマは部隊に伝達を続ける。
 リアナ・レジーネス(ha0120)は黄金の杖の結界内に入り込んだアンデッド達へと向け、ファイヤーボムを放ち始めた。
「――死者に安らぎを。荒くれ者に戒めを」
 瞼を伏せて呟き、結界へと詠唱を流し込み続ける。
 来訪者達を抱き込むべく、森の住民達が徐々にその包囲を狭め来る。数班に分かれて活動する先行部隊は、その大半が洗礼を受け始めた。
 ゼノ・エリセル(ha4829)はアンデッド達へとその刀を打ち込み続ける。彼にとって、目的は暗雲を払うことでエレメントを斬ることじゃないが、アンデッドなら遠慮なくいける。魔力を補充しつつ、防御力を上げて刀を薙ぎ続けた。
「常若の住人でありたいならば、眠りを乱してはいけない。我らも、彼らも!」
 こよなく怠惰を愛するミスティア・フォレスト(ha0038)は、だからこそ死者の眠りや鎖された理想郷を乱したくはない。手に入れていた聖水の試薬を森里雹(ha3414)へ託すと、自身は詠唱を始めた。
 狙い定めた重力波は、次々に死者達を薙ぎ倒す。その波をくぐりぬけ、雹がアロンダイトを乱れ舞わせ、続けざまに真空の刃を走らせた。
「安寧の理想郷にあっても魂の相棒を求めるとかさ、認めちまえばいいぜ?」
 空を切る刃の音に乗せて言葉を紡ぐ。試薬はロープ等に塗布して死者に絡みつかせてみたが、どうやら何かに塗布しての使用は効果を示さないらしい。雹は軽く舌打ちしてロープを投げ捨てると、剣を構え直して一撃必殺を繰り出す。
 そして渇いた土壌に倒れた死者達へと、ミスティアがマグマの柱を突き立てた。
 ふいに、誰かが助けを求める声が聞こえる。視線を移せば十メートルほど先の沼に、ブリーダーが転落していた。
 ミスティアは駆け寄り、石壁で瘴気を防ぎつつそれを竜巻で散らし飛ばすと、防護壁だった石壁を派手に倒して沼地に橋をかける。その橋を駆けて雹がブリーダーを引き摺り上げた。
 その頭上、飛爪を使って木の上を駆け巡るのはまひる(ha2331)。空と陸の状態を確認しながら、枝から枝へと進んでゆく。
 大きな変化は見られないが、足元の枝が力強くしなるようになるにつれて、生ある木の存在を実感する。
「‥‥最後まで、見届けたいけど‥‥できるかな」
 生と死が混在するこの森に在って、まひるはそこにあらゆる意味と想いを込めて呟く。
「‥‥この、地で、‥‥生きてきたのですよね‥‥」
 雛花(ha2819)は初めて見る異質な世界に見入っていた。そっと樹木に触れ、沼地の場所を知っているか問いかけていく。
 ひとつ、またひとつ。明らかになる沼地を伝達し、そして彼女はもうひとつ問いかける。
 ――「彼等」を知っているか、否か。
 得られた答えに、雛花は呟き吐息を漏らす。
「‥‥彼等の拠点は‥‥この森には‥‥ない」
 そして空へをその視線を飛ばし、同じ空で繋がる果てに彼等を想う。
「‥‥どうか」
 その言葉は、喉からは漏れなかった。
「お互いがいいと思える結末を迎えられれば、それでいいのだが‥‥」
 雛花にほど近い場所で呟くのはジェファーソン・マクレイン(ha0401)。出会ったモンスターの種類と、地点を書き記している。
「何はともあれ見つけないと話にならないよね〜」
 ジェシュファ・フォース・ロッズ(ha3035)も周辺の状況に目を凝らす。闇が広がる森にあって、小さな手がかりを見つけるのは難しい。それでも、木に抉り込まれた爪傷なども子細にジェファーソンのデータに追加して書き込んでいく。
 そのデータを確認した後、隠密潜行で敵影の調査に移るストラス・メイアー(ha0478)。
「どこから出てくるのか‥‥気をつけないといけないな」
 ホークアイを駆使して遠方の敵影を追い、その情報を本隊へと伝えるべく来た道を駆け戻る。情報が少ない場所ほど、得た情報の伝達速度が生死を分ける。
「ユーリア。ここは危ないから、お前は隠れててくれよな?」
 言いながら、コンバートソウルする浅野任(ha4203)は、ストラスと共に調査を徹底させる。背の低さと身軽さを行かし、ストラスの死角をカバーしつつ森の中を駆ける。
「全く、気が滅入る場所だね」
 イーリアス・シルフィード(ha1359)は不機嫌そうに独りごちつつも、容赦なく増え続ける負傷者へと詠唱を続けていく。重傷者がいればホーリーライトで照らして傷を確認しつつ、集中して治癒を施した。
「さて、と。お次は‥‥」
 前方に蹲る数名を見つけ、歩を進めようとする。と、それを遮ったのは、先行していた桜井そら(ha1380)。肩からパートナーの煌星が落ちないように軽く支えながら。
「‥‥気を付けろ。そこは足場が悪い。通るなら此方だ」
 イーリアスが進もうとしていた地面を指し示し、安全な場所へと誘導する。
「お、ありがと」
 誘導され、イーリアスは目的の場所へと急ぐ。
「数だけは多いな。その程度でこちらが止まるわけはないが」
 アッシュ・クライン(ha2202)の斬妖剣が、木々の隙間を抜け来るラージビーの群れを裂いていく。ここで少しでも対処しなければ、本部隊の負担が増えるだけだ。アッシュは休むことなく腕を薙ぎ払った。
 その軌道を追うように展開する氷の扇は、エルマ・リジア(ha1965)。
「まずは知ること、からですね‥‥」
 そのためには、進まなければならない。足場の悪さにバランスを崩しながらも、しっかりと狙いを定めて魔法を放ちゆく。ラージビー達はアッシュの刃と氷の扇の洗礼を受けてその数を確実に減らしていった。
「藪をつついて蛇を出す、なんてのは勘弁だが。兎も角、気を付けて進もう」
 ルーディアス・ガーランド(ha2203)は言いながら、木を看板とするべく目印の布を枝に縛り付けていく。結び目は延焼対策として濡らした。
 危険(赤)、安全(青)、戻り道(黄)等に布の色を分け、枝の指す方向を利用する。それらを本隊にも徹底することによって、確実に森を進むための道標と為す。
 彼と同じ班で行動するのは、フィン・ファルスト(ha2769)、ワン・ファルスト(ha2810)、レイス(ha3434)、カムイ・モシリ(ha4557)、そして音影蜜葉(ha3676)。
 調査に専念する班員を守るべく立ち回るのはフィンとレイス、そしてカムイ。敵影を迎撃しながらも、自身達も何かを見つけるべく意識を払う。
 カムイは迷子回避も念頭におきつつ――レイスと共にその足で敵を翻弄しながら木の上へと。軟膏を塗った武器はアンデッドには効果がなかった。それをルーディアスに伝え、さらに高所へと駆け上がる。
「因果応報‥‥いつかは帰ってくる、けど今は」
 呟き、レイスは枝上を跳ね回るようにしてさらなる攪乱を試み、流星錘を頭上の鳥へと振り上げる。
 暫しの休憩に入った班を守るべく、蜜葉は黄金の枝で結界を張る。
 ワンは負傷者の治療を終えると、ホーリーライトで照らしながら、通った道を紙に書き込んでいく。ふと、傍を徘徊するブランシュに目を留めた。
「今更じゃが、お前さんの愛する人は止めるだけのつもりじゃ、そう嘆かんでの」
 その言葉はシャルロームには届かないだろうが――。
 そこに合流したのは、密原帝(ha2398)と御影藍(ha4188)、そしてシャルロット・エーギル(ha4860)の班だ。
 これまでに得た情報を確認し合い、交換する。
「合流できなかった班に伝えてくれるかな」
 そして拠点から借り受けたハヤブサに文を託し、帝は得た情報のさらなる伝達を図ると、その場にいる者達に全員で目的を達成することを再確認し、皆を鼓舞していく。
 一通りの確認を終えると、帝達はルーディアス達と分かれて別の場所を調査するべく移動を始めた。
 進行方向に蠢くのは、数体のグリフォン。
「皆が無事じゃなきゃ意味がないよ。行こう、僕が護ります」
「さあ、行きましょう、誰一人欠けることなく‥‥私が護ります」
 帝と藍が同時に言い、グリフォンへと一歩を踏み出す。そこにヘヴィ・ヴァレン(ha0127)が滑り込み、合流した。彼等がグリフォンと対峙する隙に、シャルロットは木々へと語りかけを始めた。
「必ず探し出せます。だって私達には、きっと幸運が味方してくれますから」
 そう自分自身と仲間に言い聞かせ、木々の声を聞く。
「彼等は、どこに‥‥?」
 ――森の、向こう。
 その情報が、そこかしこから得られる。
「森の向こう‥‥」
 呟き、空を見上げた。雲の濃さは変わらず、ラアを乗せていると思われる翼竜の姿は未だ見つからない。ただ、進む方角に間違いはなさそうだ。増えゆく魔力の濃さが――重苦しさが、その全てを語る。
「俺じゃあ役不足なんだがね、奴がいないんじゃ仕方ない。気張るとしよう〜」
 ダイヤモンドロッドを軽く振り下ろし、アンデッドへと炎を放つブラッド・ローディル(ha1369)。ちらりと見上げれば、木々の隙間に覗くのは空を行く一頭のペガサス。
 それは、アーク・ローラン(ha0721)のパートナー、セエレ。馬上には手綱を握るアークと、その腕に守られるようにして前に騎乗するリリー・エヴァルト(ha1286)、そして彼女の肩にはシフールのナッビ(ha4788)。
 彼等の上空からの調査を地上から支援するべく、ブラッド達は小隊を結成してセエレの動きに合わせて動く。発見した沼地はその都度、空や別班へと伝達していった。
「さて、小隊【一家残党】、皆で帰るために進もうか」
 ブラッドは視線を落とし、共に進む者達の顔を見る。
 弓弦を弾き、セエレへと上昇を仕掛けるアンデッドイーグルを射貫くのはヴィンデ・エヴォルト(ha1300)。
「力をかしてね、ホクっ。‥‥前に出る力はないけど援護は任せて!」
 クリスタルナイフに宿るパートナーに声をかけ、マルヴェ・エヴォルト(ha1310)は詠唱を続ける。剣を振るい、弓弦を弾き続ける兄たちの動きに合わせ、彼等が痛みで隙を作ることのないように回復魔法をかけていく。
 サーベルタイガーと対峙し続けるアレン・エヴォルト(ha1325)は、時折視界の端にセエレの白い翼を入れる。
 空を行く妹を案じ、しかし今は目の前のことに意識を注ぐ。そしてまた一体のブランシェを魔力に還すと、風の詠唱を終えたばかりのブラッドを振り返って苦笑を漏らす。
「‥‥それにしても、もっとマシなネーミングはないんですか、ブラッド叔父さん」
「‥‥【一家】という名を冠する限り、どこにあっても一家は一緒だ。俺はそう思うけどね〜?」
「‥‥そうですね。‥‥どこにあっても、大切な家族です」
「ちゃんと、みんなで‥‥ただいまって言うんですっ」
 頷いたアレンの言葉を引き継ぎ、ヴィンデが強く頷く。
「家族の皆と一緒だよ! だから、大丈夫っ!」
 家族と一緒であることの心強さを込めて、マルヴェも再び詠唱を始めた。
 セエレは休むことなく舞い続ける。
 眼下に広がる腐敗の森と、その先に見える拓けた大地。
 森の侵食度合いから出口となる方角は確定できたものの、本部隊到着までの最短ルートの割り出しは上空からでは思うように進まない。それでも木々の密集していない地点や、大まかな沼の位置、モンスターなどの動きが目立たない場所程度ならわかる。
 必要に応じて降下し、目印となる色布を枝に巻き付けてはまた浮上する。他の班が地上で進めている調査と並行して続けられるそれは、確実に進軍に適したルートを浮かび上がらせていった。
「ラアさんやオフェリエさん達は‥‥どこかにいるのでしょうか。ひとりは‥‥きっと、寒い」
 ぽつりとリリーが呟けば、それまで押し黙っていたアークが口を開く。
「もう少し高度を上げる。島の全貌と、地形‥‥そしてあの雲の集中している部分や歪みなどを探したい。‥‥セエレ、もう少しだけ‥‥お願いできるかな」
 複数人騎乗で少しキツイかもしれないけれど――と、言い添える。そのとき、少し離れた場所で同様にして地形把握に飛行していたユラヴィカ・クドゥス(ha0123)が、自身の確認した地形を伝達に来た。
「了解」
 アークは頷き、逆にこれから向かう高度をユラヴィカに伝えてセエレの鬣を撫でた。
 セエレはそれに応えるかのように、鼻先を空へと向ける。そしてユラヴィカは地上へと更なる伝達に。
 セエレが高度をゆるやかに上げ始めた頃、森の樹木を掠めるようにしてもう一頭のペガサスが滑空する。
 アスラ・ヴァルキリス(ha2173)のライディーンだ。その背には、アスラとエヴァーグリーン・シーウィンド(ha0170)。
 二人はプリーストのいない班をまわり、その力を貸していく。つい先程も、帝達の班で彼等の調査を援護するべく、エヴァーグリーンが周囲のアンデッド達へとリカバーサークルを連唱したところだった。
 部隊の様子を確実に把握し、毒の沼地を避けるために樹木すれすれの高度で続けられる滑空。アスラはただそこに意識を集中し、手綱を握り続けた。
「次は‥‥と。‥‥あれ?」
 次の班へと赴こうとしたとき、エヴァーグリーンが何かに気が付いた。
 アンデッド達はともかくとして、それ以外のモンスター達がまるで蜘蛛の子を散らすかのように退き始めたのだ。
 そのうちに、あらゆる枝の隙間を縫って飛び去る飛行型モンスター達も見受けられるようになる。しかも彼等は一切高度を上げず、低空飛行のまま遠ざかっていくのだ。
 ――まるで、何かから急いで逃げ去るかのように。
「‥‥何から‥‥?」
「ライディーン、何か感じる?」
 アスラがライディーンに問えば、ライディーンは一瞬だけ全身を震わせ、空を仰ぎ見た。その瞬間に、二人は悟る。
 空に逃げる存在がただ一体もいないという事実が物語る――脅威に。
「――まさか!」
 二人は同時に空を見上げた。
 彼等の視界の奥、旋回するセエレ。そのさらに――奥。
 巨大な‥‥イーグルドラゴン。
 それは首をほぼ垂直に地へと向け、その翼を折り畳んで降下を始めていた。姿勢を低くしてその背に掴まるのは――ラア。
「セエレ! 退避!」
 ラアの接近に気付いたアークはセエレの手綱を軽く引く。セエレは右翼を畳み、ドラゴンを回避するべく旋回を始め――しかし。
「遅ぇよ」
 その声が、アークの耳元を掠めた。
 すぐにアークはリリーとナッビを右手で抱きかかえ、左手は変わらず手綱を握り続ける。声から一呼吸遅れて薙ぎ払われたイーグルドラゴンの翼がセエレの脇腹を掠める瞬間、背にしがみつくようにして身を屈めた。
「うぅ、下に降りたくないなぁ‥‥こわいよぉ。上も敵‥‥リリー姉ちゃぁん」
 ナッビはぎゅっと目を閉じ、リリーの腕にしがみついた。
「怖いね。‥‥でも、想いを伝えられないまま終わる方が、もっと――」
 リリーはそっとナッビに触れ、囁く。
 そして大きく体勢を崩して落下し始めたセエレは、それでも背上の者達を守るべく、翼で大気を叩き続ける。もうそのときには、イーグルドラゴンはライディーンへと嘴を向けていた。
「危機感ねぇのか、お前ら。ここはカルディアじゃないんだぜ? どこかの森でちんたらと『暴走エレメント』とやらを倒しているのとワケが違うんだよっ!」
 ラアは嬉々として叫ぶ。イーグルドラゴンの嘴がライディーンまであと数メートルに迫ったとき、その背からダイブした。
 イーグルドラゴンのアンティはそれを合図に、ライディーンの翼を掠めて急上昇する。
「人でも動物でも、眠りを妨げないで! これについては一発殴りたいですの!」
 エヴァーグリーンはデュランダルを構え、降下するラアへと振り抜いた。だが、ラアはそれをトンファーで受け流すと、
「落ちようぜ、一緒に」
 囁き、ライディーンの首に絡みついた。その重みが加わり、ライディーンは枝を薙ぎながら落下していく。落下しながら、ラアはクリスタルソードを生成した。
「出来の悪い地図なんて見てんじゃねぇよ」
 くすりと笑い、クリスタルソードを投擲した先にいたのは、リアナ。
 正確な地図ではないが、ある程度調べ上げた森の概要と、古い文献で見たこの島の大まかな輪郭を記した地図を、彼女はその手に持っていた。
 そして、ファスターニャクリムの居場所を捜すべくバーニングマップを詠唱しようとした刹那、クリスタルソードが地図を引き裂いた。裂かれた地図は、先程のファイヤーボムが未だ燻る場所へと舞い落ち、小さな炎を上げて燃え尽きる。
 リアナは絶句した。クリスタルソードの出所を捜すべく見上げれば、そこには落下するペガサスと、ラア。
 地表すれすれのところでラアは手を離し、ライディーンを解放した。
 一瞬だけ舞い上がるライディーン。そしてすぐに、アスラとエリ共々地に叩き付けられる。
「アスラさん! エリさん!」
 頭上から降るのは、リリーの声。体勢を立て直したセエレが追いついたのだ。すぐにリリーの歌が彼等を癒す。
「なんだ、落ちなかったのか」
 ラアは舌打ちし、しかしペガサス達には目もくれずに周囲のブリーダー達を見渡した。
 彼が降下したポイントは、ブリーダー達が最も少ない場所。
 そして――生きている木々が、密集している場所。
 ブリーダー達は突然の降臨に、そして傷だらけのペガサス達に目を奪われて次の行動が出遅れた。その隙を突き、ラアがその力を発動させる。
「さあ‥‥始めようじゃねぇか、ニンゲン――!」
 両腕を翼のように広げれば、それに呼応して「羽ばたく」のは意思を得た木々や蔦。
 枝が、蔦が、そして地中の根が、ラアの意思のままにブリーダー達に襲いかかる。
「やめてください‥‥っ!」
 これまで、ひたすらその姿を求めてきたリュミヌ・ガラン(ha0240)がラアに手を伸ばす。ラアに会うためにここまできた。
 エピドシスで真正面から向き合った、あの日からずっと――。
「見たことある顔だな。懲りねぇな‥‥」
 歪んだ笑みを浮かべ、ラアはリュミヌを見据える。その間にも、枝が、蔦が、リュミヌを絡め取る。それでもリュミヌはラアに触れようと手を伸ばす。
「リュミヌさん!」
 リリーと共に負傷者やペガサスに治療を施していたシェルシェリシュ(ha0180)が、リュミヌに絡みつく植物たちにニュートラルマジックをかけていくが、またすぐに次の植物がリュミヌを、そしてシェルシェリシュをも狙う。
「そのまま遊んでな」
 ラアは彼女達から視線を逸らすと、右手の刀と左手のトンファーを軽く打ち合わせる。
「ケセラ・セラ、行こう」
 言いながら、ラアと同じようにして鉄輪手をがしゃりと打ち合わせるのは、枝から飛び降りたまひる。いつもの合図、いつものスタイル。だが――まひるは、戦うつもりはなかった。
 ラアを真っ直ぐに見据え、彼を説得するべく地に足を押しつけるようにして立つ。
「そのツラ、オレを説得するつもりか? ニンゲンってのはどうしてこう、バカが多いのか」
「何と言われようと、私はあんたと話がしたい。腹を割って、ね」
「割る腹なんてねぇな」
「割ったこと、ないんだろ。クリムとやらも‥‥腹を割る相手じゃなさそうだね、その様子だと」
「‥‥何が言いたいんだ」
「だったら、私がその相手になってやるっつってんだ」
「‥‥うるせぇよ!」
 叫び、苛立ちを押し隠さずにラアはカマイタチをまひるの大腿部へと滑り込ませる。
「まひるさん!」
「まひる!」
 それぞれ別方向から駆け寄るのは、帝とルーディアス。崩れ落ちるまひるを両側から受け止める。彼等の二班がそこに合流した。
「話を‥‥話を聞かせてください‥‥っ!」
 シェルシェリシュが次々に迫る植物を解呪しながら、ラアに訴えかける。だがラアは「嫌だね」と吐き捨て、地を蹴った。
 シェルシェリシュとリュミヌの間を抜け、まひるへと真っ直ぐに刀を振り下ろす。
「させるかっ!」
 ルーディアスがその直前、石壁を立ち上げた。耳を劈く金属音が響き、その直後、石壁がルーディアスに向かって倒れこんでくる。向こうでラアも同様に壁を作り上げて倒し、ぶつけてきたのだ。
「もういっちょ!」
 迎撃するのは、新たな石壁。その隙にルーディアスと帝はまひるを連れて退避する。
「ざけんじゃねぇぞっ!」
 石壁の横を這うように、無数の植物の「刃」が三人に追いすがる。しかしそれを迎撃したのは――。
 月夜と、雛花と、ナッビと、そしてシャルロットの操る蔦たち。
 それぞれが重ならないように射程距離を保ち、自らのフィールドから放つ蔦は絡まり合い、一枚の巨大な「盾」となってラアの「刃」を抱き留める。
 その隙に退避を終えたルーディアスと帝は、まひるの治療をワンに託してラアへと駆け戻る。
「手数が足りないか‥‥っ!」
 ルーディアスは咄嗟に詠唱を始め、空に向けて派手に雷撃を打ち上げた。そして帝は笛を鳴らす。その合図を受け、少し離れた場所で調査を進めていた者達が集まり始める。
 最初に到着したのは、瞬脚で駆けつけた鳳双樹(ha0021)。
「行きます!」
 他の者達が到着するまでの時間を稼ぐべく、ラアの周りを翻弄するように駆ける。
 次に到着したのは伊達正和(ha0414)。
「気合い入れていくぜ」
 刀を持つ手に力を込め、ラアとの間合いを詰めていく。しかし暗い視界と、すぐ近くに展開する沼地、枯葉で滑る土壌に動きは遅れがちになる。
 双樹と共に足を取られながらも、しかし目はラアだけを捉え続けた。
「何人来ようと同じだ! オレの傷は完全に癒えた! ‥‥はっ、見覚えのある顔が増えてきたじゃねぇか。エピドシスでの礼をしっかりとさせてもらわねぇとなあっ!」
 楽しげに笑い、しかしその眼差しに果て無き憎悪を込め、ラアは刀を構えた。
「ファスターニャクリム‥‥本当に、こんなことを望んでいるのか‥‥?」
 ロンギヌスを構え、ヘヴィはラアの後ろに彼の面影を捜す。
 無言でヘヴィの隣に立つのは、アーク。彼もまた、槍を構えていた。後方にいるリリーを護るべく。
「‥‥もう少し、お互い粘ってみようじゃないか」
 憎悪に歪むラアを見据え、誰に言うでもなく呟く。その刹那、瞬時にして眼前に迫ったラアの刀を、ヘヴィとアークは二人がかりで受け止める。脇から隙を突いて駆け来るのはアンデッドドッグ。
 ヘヴィは数秒だけ身を引くとロンギヌスでその犬を打ち負かし、再びラアの刀を受け止めた。
「てめぇら、うざいんだよっ!」
 ラアは叫び、身を屈めて下段から彼等の腹部を引き裂き、続けざまに正和と双樹を薙ぐ。そのまま方向転換すると、背後に迫ったルイスとアッシュへとその照準を定めた。
 と、そこに一瞬だけ生じた隙をつくのはそら。先手を取り、脇腹にノワールタスクを入れて退避を試みれば、その腕を捉えて繰り出されるラアの肘打ち。しかし、それを体で受け止めるのはディーロ。
 それにより、ラアの次の行動が遅れた。ルイスの黒曜刀が、アッシュのラーグ・ノヴァが、ラアの両肩から抉りこむ。
「すぐに治療するよっ! 治ったらまた行けるねっ!?」
 イーリアスは負傷者をかきあつめ、イニアスと共にリカバーサークルを重ねがけしていく。
「邪魔ばかりすんじゃねぇよっ!!」
 激昂し、肩の痛みすら忘れてトンファーでルイスとアッシュの顔を殴りつけていくラア。その間にも彼等の刃はラアを捉え続ける。ラアはどうにかそこから抜け出ると、次の照準を定めた。
「次はてめぇだ!」
 リリーを指差し、血を吐きながら駆け抜ける。リリーはラアをじっと見据え、立ち尽くすだけだ。
「はっ、覚悟を決めたってか!」
 そして振り下ろされるラアの刀はしかし、リリーには届かない。
「やらせる訳にはいきません。ここからは通しませんよ!」
 ラアの攻撃を盾で受け止めたのは、アレン。そのままカウンター気味に待宵姫を下段から上段へと斜めに閃かせた。ラアの腹部に、赤い筋が走る。
「てめぇ‥‥」
 しかしラアが唸った直後、その頬を掠め抜けるのはヴィンデの矢。
「うぜぇ、うぜぇ、うぜぇ。てめぇらは‥‥アイツらにやられちまえ!」
 叫ぶラアの声に呼応し、アンデッドの群れが一気にアレンとヴィンデに迫る。しかし――。
「ただいまってみんなで言うために‥‥」
「一家揃って、帰らないといけないからね〜」
 マルヴェとブラッドが、彼等の後方で詠唱を終えた。
 倒れゆくアンデッド達、かわされる自らの攻撃。ラアは目の前で起こる全てのことが理解できずにいた。
「あ゛あ゛あぁぁぁぁっ!!」
 地を揺るがすような雄叫びが、周囲の死者達を全て突き動かす。ラアの視界に入るブリーダー達は全て、アンデッド達に包囲されていく。
「てめぇらの足、ここで止めてやるよ‥‥絶対に止めてやるよ‥‥誰のためじゃねぇ、オレのためになあっ!」
 そしてラアも、なりふり構わず刀を振り回し、蔦や枝と共に駆け抜ける。
「前に進むために、誰かと一緒に歩くために足はあるんですよ」
 カムイが首を振り、ラアの背後を取った。そして双龍錘をラアの後頭部へと押しつける。
「愛憎は表裏一体、かなしい――ですね」
 哀しくもあり、愛しくもあり。カムイの言葉にラアは奥歯を鳴らす。
「足を止めはしません。休んでいる間はありません‥‥この身砕けるまで、今は戦う時」
 ゆるりとタラニスを掲げ、高らかに詠唱を始める密葉。
 彼女を包囲し始める死者の壁は二重三重に厚みを増していく。
 だが、退くことはない。恐怖は感じるが――何よりも、信念が勝る。
 いつかこの地にくるときのことを、かつて思った。そして今、ここにいる。
 自身の信念のままに――今は一歩でも人が、ラアに、彼等に近付くために、この身を捧げんと。
「‥‥私の信念は、曲げられません」
 詠唱が、止まった。
 密葉の魔力が壁を包み込む。死せる者達を再び安らかな眠りへと誘っていく。
 なんだ、この強さは。
 ラアは一瞬、後じさった。
 信念は自分だって持っている。誰にも負けないと思っていた。
 だが――。
 ラアはぶるぶると震えながら、しかし密葉から逃げるようにその場から飛び退く。
「ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな、オレをバカにするのもいい加減にしやがれええええっ!! 殺してやるよ、てめぇらみんなっ!!!」
「でもあたし達は、殺しに来たわけじゃない、もん」
 響く、声。フィンが唇を噛みしめ、大剣を両腕で振り上げて間合いを詰める。隣にもひとり、大剣を構えて駆けるブリーダー。
 殺しに来たわけではない。それでも‥‥彼の攻撃から皆を守るために、戦うことしか今はできない。その歯痒さにフィンは打ち震える。
 ふたりは呼吸を合わせ、振り下ろされるラアの攻撃を大剣で受け止めると、そのまま流れるように背後に回ってラアの背を打ち据える。
 その衝撃で吹き飛ばされたラアを待っていたのは‥‥頭上から舞い降りる、藍――。
 藍の胴体にはシャルロットの操る蔦が巻かれ、それによって上空に持ち上げられた藍がラア目掛けて飛爪を向けていたのだ。
 吹き飛ばされていたラアはその体が地に着く直前、その飛爪で抉られ、そのまま地表に引き摺られるようにして叩き付けられる。
 馬乗りになった藍が拳を喉に突きつければ、それを囲むようにブリーダー達が立ち尽くす。
「‥‥が‥‥は‥‥っ」
 もう、ラアに立ち上がる力はない。自身の負けを悟りたくはないが――認めざるを得ない。
 そのとき、リュミヌが視界に入った。
「お前‥‥凝りねぇな」
 ラアが掠れる声を漏らす。
「なぜこれほど思うのか、自分でもよくわかりません。でも、心がそう望むから。――ラアさん。どうしたら、心から笑ってくれますか」
「なん‥‥だと?」
「もし私の命がここで終わっても、あなたが生きているのなら希望は残る。それが私の望みだから‥‥ただこうして生きていてくれるだけで‥‥良いのですよ」
 心の内を全て吐露すると、リュミヌは静かに詠唱を始めた。そのためだけに、ここにきた。
 ラアを守る、守りたい。
 しかし――。
「そんなもん、いらねぇよ」
 ラアはリュミヌを睨み据えると、空に向かって「アンティ」と呟いた。
 直後、轟音と共に降るのはイーグルドラゴンのアンティ――。
 アンティはその翼で周囲のブリーダー達を吹き飛ばすと、ラアを背に乗せて急上昇した。
「ラアさん!」
「ラア――!」
 イーグルドラゴンを墜とすべく、ソーサラー達が詠唱する。狙撃手達が弓弦を引き絞る。だが、間に合わなかった。
 イーグルドラゴンは高度を上げ、やがてブリーダー達の視界から消えてゆく。
「‥‥行こう、ラアが‥‥向かった先に、きっとファスターニャクリムがいる」
 誰かが呟く。
 それ以上誰も何も言葉を発することはなく――ただ、空を見上げて、頷いた。


「‥‥ざけんな‥‥ニンゲン、ども」
 アンティの背の上、うつぶせになって呪詛を吐くラア。
 なぜ、あのような地を這う連中にオレが――。
 ふらりと頭を上げれば、遥か数十キロ先に見えるのは――塔。
 元は空駆ける存在だったからこそ、その視力でその姿がはっきりと見える。
「クリム‥‥」
 あそこに、ファスターニャクリムがいる。

 クリムとやらも‥‥腹を割る相手じゃなさそうだね
 話を聞かせてください
 私の信念は、曲げられません
 ファスターニャクリム‥‥本当に、こんなことを望んでいるのか‥‥?
 なぜこれほど思うのか、自分でもよくわかりません。でも、心がそう望むから。――ラアさん。どうしたら、心から笑ってくれますか

 ぐるぐると、ブリーダー達の言葉がラアを支配する。
 ファスターニャクリムが何を望んでいるかなど、わからない。
 彼と腹を割って語り合ったこともない。
 憎いニンゲン達に聞かせる話などない。
 自分の信念‥‥信念。自分は何のためにここにいる。
 そして‥‥どうしたら、自分は心から笑える?
 寝返りを打てば、空が見える。
「空って何色だったかな‥‥」
 それは、ブリーダー達と対峙する前にも漏らした言葉。
 ――あの空を作り上げたのはニンゲンではない。
 今度はその思考を打ち消すことはない。
 もう一度、あの空が見たい。
 あの、自分が駆け抜けた――果て無く青き、空。
 自分の翼で、強く羽ばたいて。
 きっと――そうすれば、笑えるのだろう。
「なぜ、空をオレから奪った」
 その呪詛は――彼方の塔へと向けられる。再びうつぶせになり、塔を見据える。
 ファスターニャクリム。
「てめぇ‥‥何考えて‥‥」
 そう言葉を漏らしたとき、視界を焼くほどの光線がアンティの頭部を貫いて天へと突き抜けた。
「‥‥な‥‥っ!」
 直後、事態を把握する時間さえ与えられずに――同じ光線が、ラアを貫く。
「‥‥っ、が、あ‥‥っ!」
 何が起こったのかわからない。
 その頃、森を抜けたブリーダー達は天空にあるイーグルドラゴンと、それを貫く光の筋による裁きの瞬間を目撃していたが、それが何であるのかを理解するにはやはり時間を有するだろう。
 ラアは、落下しながら思考する。
 空の色は、何色だっただろう。
 あの青い空は、どこへ行ってしまったのだろう。
 思考しながら痛む体を反転させ、鈍い色を網膜に焼き付ける。
「‥‥そ、ら‥‥」
 そして両手を伸ばして掴むのは、ただひとつ。
 ――空。

<担当 : 佐伯ますみ>



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