――この島に、自分達だけの楽園を創りたい。
  ――この小さな島、ひとつ。これだけで、いい。

 奴は、いつもそう言っていた。それが、奴の口癖。
 穏やかな笑みを浮かべて‥‥他には何もいらないと。
 この小さな島、ひとつ。この島で、仲間達がひっそりと‥‥幸福に暮らす事を許してもらえるなら、と。

『‥‥許す? 誰に? ‥‥人間、か』
『俺達はヒトに許しを乞わなきゃ、存在する事さえ許されないのか?』

 まだ、この姿に慣れていなかった頃――奴にそう訊ねた事があった。
 あの時の返事は、はっきりと覚えている。

 ――違うよ、炎烏。
  ――私達は誰に許しを乞わなくても、ちゃんとここに存在する。
   ――でも、同じ時を生きる仲間なら‥‥認めて欲しいだろう? 仲良く、したいだろう?

 奴は、ヒトを信じていた。
 恐ろしいまでに、無邪気に‥‥盲目的に。

 ――いつか、認めてもらえる時が来るよ。
  ――ほら、この‥‥姿。ヒトと、同じだ。‥‥同じ、なんだ。

 ヒトと、同じ。
 その言葉を、奴は繰り返していた。
 噛み締める様に、何度も。

 ――だから、待っていよう。
  ――どんなに時間がかかっても、いい。

 ‥‥そうだ。待つ時間はあった。
 いや‥‥ありすぎた。

「クリム、お前は‥‥どうなっちまったんだ?」
 塔の頂上、白い天蓋の上にその翼を休めた炎烏は、暗く淀んだ空を見上げる。
 いや、この島で‥‥白がきちんと「白く」見える事はない。
 いつも薄暗く、赤みがかった空と、木も草もない荒れ果てた大地。
 その色を映して、白は淀んだ空気の底に沈む。

 この空も、かつては青く透明に輝いていた。
 茶色く乾いた大地にも、緑が溢れていた。

 色がなくなったのは、いつの事だったか――

 奴はもう、その顔に穏やかな笑みを受かべる事はない。
 人間を仲間と呼ぶ事もない。

 誰が、そうさせた?
 ヒトか? それとも‥‥奴、自身か。
 余りに長く、待ちすぎたのか。

 ――ヒトを、滅ぼす。
  ――奴等の存在は認めない。この地上にある「いきもの」は俺達だけだ。

 奴の中にある、もうひとつの顔。
 もう長い間、そちらの顔しか見ていない気がする。
 正直、俺は‥‥無邪気で、素直で、穏やかだった頃の、昔の奴の方が、いい。
 だが、どんな顔を見せていようが‥‥奴は、奴だ。
 ファスターニャクリム。‥‥俺達の、長。

 奴がヒトを滅ぼせと言うなら。それを望むなら。
 俺は、それを叶える為に動く。
 別に‥‥義理立てする訳じゃない。義務でもない。

 ただ、望みが叶う事で‥‥昔の奴に、戻れるなら。

「‥‥だが‥‥なあ。本当にそれで、良いのか?」
 この空は‥‥何だ? 何でこんなに‥‥泣きそうな色をしてる?
 こうして、力を溜め込んで‥‥それで、どうする?
 この力はヒトを滅ぼし、俺達エレメントの楽園を創る為のものだと、奴は言った。
 だが、本当にそうなのか?
「‥‥シャルローム。お前は‥‥何か、知ってるのか?」
 そこにいるお前は、何を感じてる?
 お前の命さえ呑み込んだこの空は‥‥何のために、ある?
「‥‥泣いてるだけじゃ、わかんねぇんだよ‥‥」

 女って奴は、これだから‥‥
 肩を竦め、炎烏は彼方の空を見る。
 あの二人が、そろそろ戻って来る筈だった――生きているなら。
「‥‥あれは‥‥ラア、か」
 遠くにイーグルドラゴンの姿を認め、炎烏は翼を広げる。
 迎えに行ってやろう。何故か、そう思った。
「――っ」
 だがその瞬間、軽い目眩を感じ――炎烏は思わず天蓋に手を付く。
 近頃、どうも体の調子が思わしくない。
 何故? 歳のせい、か?
「‥‥寿命の心配するほど、まだ生きちゃいねえよ」
 苦笑いで打ち消し、炎烏は再び翼を広げる。
 恐らくあの雲の影響なのだろうと‥‥薄々、感じてはいた。
 だが、認められない。
 認めてしまったら――あの雲に呑まれた命は、魂は‥‥

 嫌な考えを振り払う様に首を振り、炎烏は塔を離れた。
「またあいつは、ボロボロにされてんだろうな」
 出来の悪い、だが‥‥可愛い弟の様な存在。
「弟‥‥か」
 そう言えば、家族の様なものだった――
 家族とはどんなものか、知っている訳でもないのに‥‥何故かそう思う。
 ラアが弟なら、シャルロームとオフェリエは妹か。
 シープシーフは‥‥何だろう。
「息子、か‥‥?」
 いやいや。
「俺が親父なら、あんな手癖の悪いガキには育てねぇ」
 やはり、末の弟か。甘え放題、甘やかし放題の。
「‥‥クリムは‥‥」
 何だろう。
 そう考えた、瞬間。

 視界の隅で、白い光が弾けた。

「――なん‥‥だ?」
 何が起こったのか、それを理解するまでに‥‥どれくらいの時間がかかっただろう。
 視界の隅を横切った光は、行く手に舞うイーグルドラゴンの頭部を貫き‥‥吹き飛ばした。
 思考を止め、その様子をただぼんやりと見つめる炎烏の視界の中で、時だけが動く。
 同じ光が、ラアの胸を貫き――

 何だ、これは。
 ラアが、狙撃された。
 誰に?

「‥‥クリ、ム‥‥」

 何故。

 その存在をクヴァールの大気に溶け込ませながら、大地に吸い込まれていくラア。
 炎烏は自らも落下する様な速度でその姿を追う。
 しかし、伸ばした手は、腕は――

 虚しく空を抱くのみ、だった。


 ――――――


 クヴァール島に唯一存在する、船での上陸が可能な地点。
 先に保護されたシープシープは、そこに築かれた拠点に身を寄せていた。船の準備が整い次第、カルディアへと送られる手筈になっていた彼は、しかし――
「僕も、クリム様の所に行きたいのです! 連れて行って欲しいのです!」
 増援部隊と共に、遅れて島に到着した二人‥‥国務補佐担当大臣フェイニーズ・ダグラスとギルド長オールヴィル・トランヴァースは、互いに顔を見合わせる。
「‥‥どうする、熊‥‥?」
「どうするったって‥‥」
 シープは、彼等が乗って来たこの船でカルディアへ送られ、管理局に保護されると聞いている。
「でも、そうしたら‥‥もう、会えないかもしれないのです。皆に、会いたいの‥‥です」
 彼は、まだ知らない。
 ラアが大気に還った事も、オフェリエが行方不明である事も。
 だが、ひとつだけ知っている事がある。
「ラアも、オフェリエも、シャルねぇも、えんにぃも‥‥クリム様も。僕とは、違うのです。ニン‥‥人間、と、仲良く‥‥出来ないのです」
「‥‥仲良く、ねぇ」
 脇に分厚い書類の束を抱えたフェイニーズが小さく溜息を漏らす。
「仲良く、したいと思って‥‥俺達はここに来たんだ。勿論、こいつもな」
「余計なこと言ってんじゃねえ」
 げしっ。
 シープの角の生えた頭を撫でながらそう言ったオールヴィルの尻に、フェイニーズは軽く蹴りを見舞う。
「‥‥で、会って‥‥どうすんだ?」
 フェイニーズが訊ねた。
「奴等にとっちゃ、今のお前は‥‥敵だ。それは、わかってんだろ?」
 ――こくり。
 容赦ない物言いにも、シープは黙って頷いた。
 覚悟は出来ている様だ。
「仲良く、出来ないのは‥‥知ってるのです。でも、仲良くしたいのです。仲良くしようって、言いたいのです」
 また、皆と‥‥遊びたい。人間も、クリムも、炎烏も‥‥皆、一緒に。
「‥‥わかった」
 フェイニーズが頷く。
「ただし、俺らから離れんじゃねえぞ? お前は‥‥そうだな、こいつが守る」
 ひょい。フェイニーズはシープの体を抱き上げると、オールヴィルの肩に乗せた。
「お、肩車かー」
 ほくほくと嬉しそうに、オールヴィルはその小さな体を支える。
「うちの娘にも、昔はよく‥‥」
 ほろり。何故か涙が出て来た。
「高いのです! でも、えんにぃのはもっと高いのです!」
「‥‥してもらった事、あんのか。つか、えんにぃって‥‥」
 えんちょー、いや、炎烏の事、だろうか。
「このまま、飛んでもらったことあるです! 落ちそうで楽しかったのです!」
「‥‥あいつも、そんな事‥‥すんのか」
 変わらない。自分達と‥‥何も。
 ならば、クリムにも‥‥通じる筈だ。この書類の意味が、わかる筈だ。
 そう思ったから、ここまで来た。
 まだ、何も‥‥形になってはいないけれど。
「じゃ、行くか」
 通じなかったら、その時はその時だ。

 増援部隊に守られる様にして、二人と‥‥そしてシープシーフは島の奥へと歩き始めた。
 まずは島の奥地で待機している筈の、ヴィスター・シアレントが率いる部隊と合流する事。
 クリムの拠点と言われる塔を目指すはそれからだ。
「‥‥しかし、エレメントって奴は‥‥まだ、わからねえ事だらけだな」
 歩きながら、フェイニーズが呟く。
「お前にも、わからん事があるのか、ダグ?」
「わかってる事の方が少ねぇよ」
 知ろうとすればするほど謎が増えていく‥‥と、フェイニーズは暗い空を仰いだ。
「シープ、お前‥‥いくつだ?」
「何がなのですか?」
「いや、歳だよ。生まれてから‥‥つか、その姿になってから、何年だ?」
「どうして、そんなこと訊くですか?」
「んー‥‥お前らの寿命、さ‥‥やっぱり、人と同じなのか?」
「いや、それはないだろう」
 オールヴィルがツッコミを入れる。
「エピドシスの女神は‥‥何歳かは知らんが、相当長生きしてるだろう?」
「‥‥だよなあ」
「僕はまだ、ケーキにローソク4本なのです!」
 シープが嬉しそうに言った。
「人はそうやって誕生日というものを祝うって、えんにぃに教えて貰ったのです」
 けれど、シープの外見は10歳前後。頭の中身も‥‥多少知識の偏りはあるが、大体そんなものだろう。
「‥‥エレメントの寿命は、動物と同じ。人の姿になったエレメントの寿命は‥‥」
 ぶつぶつ。フェイニーズが呟く。
「千年ってのも、アリなんかねぇ‥‥」
 エカリスが白銀の狼を生み出したのが、千年ほど前。
 ファスターニャクリムは、その白銀の狼であるらしい。
 しかし‥‥それほど長く生きられるもの、なのだろうか?
「わかんねぇ、な‥‥」
 ばりばり。
 フェイニーズは短く刈り込んだ赤い頭を掻きむしった。


 腐敗の森を抜けた先。
 遥か彼方に‥‥晴天ならば塔の姿が目えるであろう、その平野の一角に、先行したブリーダー達は臨時の拠点を構えていた。
 まずは先の戦いでの疲れを少しでも癒さなければ、これ以上先へ進む事は出来ない。
 肉体的にも精神的にも、ブリーダー達の疲労は頂点に達していた。もう、限界に近い。
 だが、ここまで来た以上は後戻りは出来ない。許されない。
 黒い雲が渦巻く中心。この平野を超えた先にある筈の、その場所で――どのような形であれ、決着をつけるまでは。

 そんな重苦しい空気が支配する部隊に、朗報がもたらされた。
「‥‥シープくん!?」
 増援部隊と共に合流した少年の姿を見て、ジル・ソーヤが目を見張る。
「どうしたの? どうして‥‥」
 もう、島を離れたと思っていたのに。
「こいつにも、やるべき事ってのが残ってんだよ」
 フェイニーズが言った。
「悪いが、お守り頼むぜ。手ぇ繋いでてやってくれ」
 ジルは無言で頷く。
 逃げるとは思っていない。ただ‥‥守りたいから。
「離さないで、ね?」
「だいじょぶなのです」
 シープは差し延べられた手をぎゅっと握り返した。
 張り詰めていた空気が僅かに綻びる。
 石の様に重かったブリーダー達の心も、ほんの少し‥‥軽くなった。

 先程目にした、あの光景。
 あれが‥‥まだ信じられない。事実だとは、思いたくなかい。
 けれど、あれがもし‥‥事実だとしても。
 この子が、シープシーフが共にいてくれるなら。
 希望の芽が潰えた訳ではないと‥‥そう、思える。

「‥‥あの、向こうか」
「‥‥」
 仲間達から離れた所に立ち、ひとり地平線に目を向けるヴィスターにオールヴィルが声をかける。
 左の腰に下げた剣の柄を握ったまま、ヴィスターは振り向きもせずに無言で頷いた。
「出会い頭にいきなり斬り付ける様な事は‥‥しないでくれよ?」
「‥‥わかっている」
 低い声が応えた。
 わかっている。この剣の持ち主は、そんな事を‥‥望んではいないと。
 わかってはいても、その衝動を抑える事は難しいだろう。しかし‥‥
「‥‥大丈夫、だ」
 ヴィスターは、剣を握る手に力を込めた。


 やがて、暫しの休息の後――部隊は塔を目指して重い腰を上げた。
 敵の妨害は、ない。
 視界を遮るものが何もない平原を、ブリーダー達はゆっくりと進んだ。
 あの塔に辿り着き、フェスターニャクリムと対峙した瞬間に、終わりが始まる。
 それが何の終わりなのか‥‥この黒い雲に覆われた世界が終わり、陽の光が戻って来るのか。それとも、世界そのものが終わりになってしまうのか。
 その先に待つものは、何だろう。
 光か、闇か‥‥そのどちらでもない、混沌か。
 早く、結果を知りたい。未来が見たい。けれど‥‥望んだ未来でなければ、見たくない。

 殆ど機械的に足を動かしていたブリーダー達が、無言の合図を受けて一斉にその動きを止める。
 何だろう。何かあったのだろうか。
 ――敵、か。

 斥候の目が捉えたものは――
「白銀の、狼‥‥!」
 薄闇の中で淡い輝きを放つ銀色の体毛を持つ狼。
 この世に初めて生み出された、最初のエレメント――
「‥‥ギン!」
 フェイニーズが叫んだ。
 ギン。その名はかつて、エカリスが彼に与えたもの。
「この記録、見付けんの苦労したんだぜ? なんたって千年も昔の事だからな‥‥」
 言いながら、フェイニーズは狼に向かって歩き出す。
 それを止めようとするブリーダー達を、オールヴィルが無言で押しとどめた。
「迎えに来たぜ、ギン」
 ゆっくりと歩み寄るその姿を、狼はじっと見つめていた。
 僅かに、鼻を動かす。
 記憶にあるものと‥‥少し、違う。けれども‥‥懐かしい、匂い。
「待たせて、悪かったな」
 手を伸ばせば届くほどの距離を置いて、フェイニーズは立ち止まった。
「‥‥本当は、な。お前達の暴走‥‥止める、方法。そいつを見付けてから、来るつもりだったんだ。だが‥‥ごめんな」
 間に合わなかった。その方法は、まだわからない。
「その代わり‥‥こいつを、持って来た」
 脇に抱えた紙の束を、足元に置き‥‥一歩、下がる。
「これは、俺と仲間達が考えて‥‥色々試してみた、その記録だ。‥‥結構、あるだろ? 他にも、それを望んでる奴は大勢いる。ここにいる連中も、きっとそうだ」
 ちらりと後ろを振り返る。
 すぐ後ろにはオールヴィルが立っていた。何かあった時にすぐ飛び出せる様に‥‥だが、武器には手を触れずに。
 大丈夫だと頷くと、フェイニーズは再び狼に向き直った。
「結果は、まだ出ないが‥‥まだ、時間がかかるかもしれねぇが‥‥この、想いだけでも。受け取って貰えねえか?」
 狼は、動かない。
 そのアイスブルーの瞳からは、何の感情も、思考も‥‥読み取る事は出来なかった。
「‥‥ギン」
 再び名前を呼ぶ。
「お前が、俺を‥‥エカリスの血を許せねえってんなら、この場で殺しても良い」
 フェイニーズはその場にどっかりと座り込み、胡座をかいた。
「だが、それで恨みっこなし‥‥チャラにしようぜ?」
 覚悟を決めた様に目を閉じたフェイニーズに、狼はゆっくりと‥‥殆ど止まっている様に見えるほど、ゆっくりと近付いていった。
 ふんふんと鼻を鳴らす。湿った息が、頬をくすぐった。
「ごめんな‥‥ギン。一緒に、帰ろうぜ‥‥?」
 だが――
 フェイニーズの手が銀色の体毛に僅かに触れた、その瞬間。
 狼は体じゅうの毛を逆立て、後ろに飛び退った。

 ――チガウ‥‥
  ――チガウ! えかりすジャ、ナイ!

 狼は毛を逆立て――いや、体そのものも、膨れ上がっていた。
 爪が、牙が、鋭く伸びる。
 これは――暴走?

 ――ドコダ‥‥えかりす‥‥ドコ‥‥

  ――アイタイ‥‥

   ――アイタイ、アイタイ!

「ぅ‥‥ぐ‥‥っ‥‥があぁぁああッ!!」
 狼は一声吠えると、座ったまま動かないフェイニーズにその爪と牙を向けた。
 しかし、それが届く直前――
「ギャンッ!」
 握った拳で横っ面を殴られ、狼は脇に転がる。
 そのまま、塔の方へと走り去り――

「‥‥追うな」
 追わなくて良い。フェイニーズとオールヴィル、二人の無事を確認すると、ヴィスターは一同を制した。
 行き先はわかっている。追わなくても、またすぐに会えるだろう。
 それよりも、気に掛かるのは――
「‥‥クレイ?」
 左手で握った剣に、違和感を覚える。
 その持ち主が、何かを伝えたがっている様な‥‥
「‥‥何だ? 何が、言いたい‥‥?」

 ――おな、じ‥‥ぼくと、おなじ‥‥

 感じたのは、漠然とした‥‥想い。
「同じ? 何が同じなんだ‥‥? ‥‥いや、まさか‥‥」
 そう、かもしれない。
 この‥‥感覚。死して尚、共に在りたいという想い。

 あの狼も、そうなのかもしれない――


 ――――――


「‥‥クリム?」
 塔の天蓋に座り、ぼんやりと暗い空を見上げていた炎烏の視界に、こちらに向かって走る白銀の狼の姿が映る。
 ここからも見える、あのブリーダー達の様子を偵察にでも行ったのだろう‥‥狼の姿に戻って。
 だが‥‥何か、おかしい。
 見るうちに、その姿は狼から人へ、また狼へ‥‥幾度となく変化を繰り返していた。
「ぐ‥‥がぁ‥‥ぁああああッ!!」
 やがてその姿は狼とも人ともつかぬものとなり――
 そのまま、それは塔へ続く階段を駆け上げると、転がる様に中へ入り込んだ。
「‥‥クリム‥‥」
 ――とうとう、壊れちまった‥‥か。
 だが、それでも。
「俺は‥‥お前を守るんだろうな」
 他人事の様に、炎烏は呟く。
 約束、だから。
 いや‥‥約束など、しなかった、か。
「どっちでもいい」
 炎烏は腰を上げた。
 眼下にはもう、ブリーダー達の姿が‥‥顔を見分けられる程の近さまで迫っている。
「‥‥婆さんの煎餅、もう一度食いたかったな‥‥」
 ――ばさり。
 黒い翼が、ブリーダー達の前に舞い降りた。



戻る