───太陽。
生きとし生けるもの、全てを平等に照らすもの。
そこには何の隔たりもなく、万物に熱と光を届ける生命の源。
必ず昇り、必ず沈む。その完璧な規則性の元に、朝と夜とが訪れていく。
そして現在、暗雲にその姿を覆い隠されているもの。
多くの神話・伝承などで力の強い神などとして描かれることが多く、崇拝の対象であることも多いそれ。
ある地域では、太陽の神を『ラー』と呼ぶこともあるそうだが───
●たいよう
照りつける太陽の姿が、今は見る影もない。
どんなに高く飛ぼうとも。
どんなに天に近づこうとも。
かみさまに近づきすぎた『罰』を受けることはない。
もしも‥‥もしもだ。
今の力があの時のオレにあったなら。
オレの翼は無くならなかった‥‥?
ニンゲン達が「拠点」と呼ぶその場所を海の音が満たしていた。
空に横たわる鈍色の雲は厚みを持ち、陽光を遮るヴェールの様に空を覆い隠している。
「今日もシケた天気だな」
こんな日は、空を飛んでもつまらない。そう言わんばかりに息をついた。
艶やかな黒髪に燃えるような赤き瞳の青年‥‥の姿をした人型エレメント、ラア。
彼は相棒のイーグルドラゴン、アンティの背に胡坐をかきながら、せっせと侵略のとっかかりを作ろうとしている連中を見下ろす。
ニンゲンの身分でありながら我らエレメントの領域に踏み込み、身勝手にもそこにいた同袍である先住者を全て殺害。
挙句「人間の領土だ」と主張せんばかりに海岸線へ脆弱な基礎を組み立てていく。
気付けばそこへはヒトが資材を運び込み、一帯を我が物顔でのさばっている。
「‥‥目障りなんだよ」
オレ達が連中の大陸に足を運べば一様に騒ぎ立てるくせに。オレ達の、たった一つの居場所を‥‥。
連中曰く、暗雲を晴らしに来たのだろうが‥‥そんなことは知ったことではない。
これがヤツらの言う「正当性」なのか?
だとしたら、エレメントだけではない。
生を有るもの全ての敵になりうる可能性を秘めるニンゲンは、滅びるべきなのではないだろうか。
この世界を愛しく思うのであれば‥‥。
震えるほど強くにぎりしめた拳から、彼の瞳と同じように赤い雫が滴り落ちドラゴンの鱗を濡らす。
その事実に口元が思わず歪んだ笑みを浮かべた。
少しずつ、戻ってきている。
この力があれば、ニンゲンを捻り潰すことなんて造作ない。
この手で、拳で、爪先で。
肩口に咬み付きその腕を引きちぎって握り潰してやりたい。
モトが何であったのかわからないほどに、ただの物体に変えてやりたい。
全てを赤に染めてやりたい。
‥‥吹き出す生暖かい血飛沫だけが、ニンゲンの温もりを感じられる唯一の術だから。
しかし。
「全て殺害‥‥したんじゃなかったのか」
見下ろすそこには、まだあどけなさを残す少年の姿をしたエレメントがいた。
「はっ‥‥ガキだな。ニンゲンの戯言に絆されたか」
彼の傍にはたくさんのニンゲンがいて、忙しなく動いている。
辛そうな表情、傷つき倒れる者もいたが、彼らは必ずどこかで笑顔を作るのだ。
そういえば、自分が最後に心から笑ったのはいつだろう?
見れば見るほどに、抑えられない強烈な嫌悪感が湧き上がる。
「くそ‥‥もう、我慢できねぇ‥‥!」
だが、ラアに動いて良いと言う指示は出ていない。
これほどまでの魔力を集めてなお、更に殺戮と憎しみ合いを繰り返せとファスターニャクリムは言う。
『これ』を一体どうするつもりなのか? 考えたところで答えに辿り着くことはなかった。
太陽が隠れてからと言うもの、無意識下ではあるがラア自身にもそれは少なからず影響を及ぼし。
忌まわしい記憶が、忌まわしい痛みと共にちりちりと脳を焦がし自らを奮い立たせる。
アツイ‥‥
イタイ‥‥
モウ‥‥
トベナイ‥‥
「くそっ!」
頭を何度振ってもそれは消えることが無く、脳に刻まれた記憶は無情にも心というスクリーンに過去を映し続けた。
色の無い、音の無い、ただ痛みと憎悪と屈辱が渦巻くあの光景を、何度も何度も再生して‥‥。
「クリム‥‥オレは、要らない存在なのか‥‥?」
大丈夫。
お前には、その立派な両脚がある。
「もう‥‥」
さぁ、行こう。
「誰も信じらんねぇよ‥‥っ!!」
そうか、ひどく単純じゃないか。
殺して、殺して、殺して、終わらせる。
その為に、オレはこの姿を得たのだから。
●ひつじ
シープシーフが戦う事を放棄し、こちらの拠点にその身柄を預けた事は全ブリーダーに通達された。
俯いた少年のやわらかそうな黒髪から、二本の硬質な角が生えているのが何より『人』ではない証拠。
やはり彼は‥‥人の形をしたエレメントなのだ。
「彼は‥‥どうなるんですか」
ジル・ソーヤが少年から離れた場所で、指揮官のヴィスター・シアレントに問う。
「今はこの拠点に残ってもらい、然るべきタイミングでこの島を離れてもらうことになるだろう。‥‥決して、傷つけるようなことはしないから」
その後、監督者を常に傍に置いた状態で対岸の要塞にて生活してもらう事になるらしい。
ヴィスターはそう言って、ジルとシープ二人の顔を交互に見つめた。それは、とても‥‥穏やかな顔で。
恐らく、本心を言えば‥‥いつの日か『監督』など無しに自由に生きてもらいたい。けれど、今は胸の奥に秘めて‥‥。
ヴィスターの言葉に安心したように、ジルもほっと胸を撫で下ろした。
‥‥人の形をした、エレメント。
それは、同時に自分の父の命を奪った特殊な生命体でもある‥‥。
ずっと聞きたかったことがあった。
父は、この島に足を踏み入れたから命を奪われたのか?
なぜこの島は、彼らは人間を拒むのか?
ファスターニャクリムと呼ばれる男は、一体何が目的なのか‥‥。
ここに来てからというもの、複雑な面持ちで笑顔を見せないシープの隣にジルはそっと腰を下ろした。
「‥‥羊たちに怪我、なかった?」
その言葉にシープがぴくりと肩を震わせた。
慕っていたクリムの事を思えば、今自分が人間たちの拠点に居る事について幼いながらに葛藤しているのだろう。
深く垂れていた頭がゆっくり上がると、現れた顔は余りにも‥‥幼かった。
「どうして、そんな事を聞くですか」
羊たちは、少年が作り出した触れる幻だったのだ。
ブリーダー達の前に種明しされた自分の能力のかけらを、そうして心配する目の前の人間が不思議で。
シープは大きな目を丸くしていた。
「大事な友達、なんでしょ? 友達が怪我したら嫌なのは、みんな同じだもん」
目の前の笑顔に、一瞬何かが重なったように思えた。この瞳をどこかで見たことがあるような‥‥気がした。
けれど、それより何より。
「僕は‥‥クリム様と、おともだち‥‥なのですか」
誰に問う訳でもなく、小さな胸に手を当ててそっと瞼を閉じる。
自らの進むべき道が空に覆われた暗雲に隠され、子羊はその導き手を見失っていた。
「クリムって人の事‥‥教えてもらう事って、できるかな」
ジルは、口から弾けて飛んでいきそうな気持ちを最大限抑えながら、少年に話しかける。
「‥‥それを聞いてどうするですか」
だいすきな人が、殺せと命じた彼ら人間。
交戦する気は失せたと言えども、問われて直ぐ彼らの意に応えるほどシープの彼への思いは浅くはなかった。‥‥けれど。
「あたしのお父さんは、クリムっていう人に会った事があるんだって」
クリムという人物、もしくはその周辺に殺されたらしい‥‥とは、言わなかった。言える筈が、無かった。
その言葉を彼がどう解釈したかは分からない。けれど、黙って聞き続けるシープの様子に安堵したようにジルは続ける。
「その人は、最初は穏やかな声で島から去るように言ってたらしいの。なのに、突然人が変わったみたいに攻撃的になって‥‥そして」
少年はその言葉に深く聞き入っていた。
何かを確認するように、こくこくと何度も頷くのだ。それはまるで自分に言い聞かせるように。
「そうなのです。クリム様は、とっても優しくてあったかいのです。でも‥‥最近のクリム様は‥‥」
シープは、静かに頭を垂れた。
「彼の『本当』を知りたい。あたしは、知らなくちゃならない気がする。だから、なんでもいいの。今ここで起こっている出来事、きみの知ってる事を教えて‥‥!」
ジルの懇願に、うろたえるように少年が顔を伏せる。その瞳は今にも泣き出しそうなほどに、潤んでいた。
「ごめん、なのです‥‥僕は、なんにも、なんにも‥‥」
‥‥わからないのです。
実際に、シープシーフは今回の件について何も知らされていないようだった。
とある書物によれば、旧き時代、羊は神への生贄としてささげられる動物の一種であったとされる。
彼は何の事情説明も受けず、ただただ最初の壁としてブリーダー達の前に突きつけられた「駒」‥‥だったのだろうか。
だいすきな人の為に、戦う。
迷える子羊の願いは、たった一つであると言うのに‥‥。
●つき
狼の遠吠えが、たった一度‥‥響いた気がした。
「クリム様のためとはいえ‥‥退屈すぎてイライラしてきちゃう」
月光のように淡く輝く金の髪を揺らし、白馬に乗った少女‥‥オフェリエは溜息をついた。
しかし持て余すとはいえ監視を続ける彼女は、ブリーダー達が先の泣き女が蹴散らされる様を見ていた時、なぜか安堵にも似た気持ちを覚えた。
今は亡きあの女を彷彿とさせるそれが連中に踏み躙られる度、歪んだ喜びが沸き上がる。
「クリム様は私のもの。私だけの、もの‥‥」
狂気が静かに満ちていく。
太陽が隠れてしまえば、当然月も隠される。
世界の秩序は、最初は緩く‥‥そして次第に急降下しながら崩壊という奈落を目指して堕ちてゆく。
保っていた精神は天秤を激しく揺らして崩れかけ。
喜々とした笑いが少女の唇から洩れる度、それは残酷な響きを纏って薄暗い世界を震わせた‥‥。
ブリーダー達は、海岸線に設けた拠点の周辺を探索するも、島の奥へ進む他に道は無いと判断し北部にある森への進行を開始した。
奥へ進むにつれ、見覚えのある光景に視線を落とすブリーダーもいる。
そこは、消える事なくこびりついたように残る腐臭を漂わせ、焼け落ちた木々や大地が激しい炎の痕を饒舌に語る場所。
草原の花を灰へと変え、木々の鳥たちが沈黙した場所。
‥‥クレイ・リチャードソンの命の灯火が、大気に溶けて消えた場所。
因縁のこの森で、もしかしたら人の形をしたエレメントが現れるのではないか‥‥?
一歩、また一歩奥へと進むブリーダー達は警戒を強めるものの、結局行けども行けども現れるのはモンスターばかりだった。
もう、どれくらい歩いただろう。
もう、どれくらい剣を振り抜いただろう。
もう、どれくらい‥‥エレメントの命を空へと還しただろう。
件の森を抜けると、そこは開けた草原が広がっていた。
そこには人型エレメントもいなければ、モンスターもいない。
ただの‥‥本当に何でもない草原だった。
いつ現れるやもしれぬ脅威に身を縮め、圧倒的に能力が向上している敵との戦いは絶え間なく、そして負ける事の許されない極限の緊張感。
まだここは、いわゆる「敵地」でありながら、一同は目の前の光景に安堵していた。
島に来る前も、来てからも、戦い通しのブリーダー達の心身は共に限界が近い事が用意に見てとれた。
海岸線沿いに最初に設けた拠点へここから戻るにしても、かなり距離がある。
このままこれ以上進軍を続ける事は自殺行為に等しいと判断したヴィスターは、森を抜けた地点で、再度拠点を設ける決断を下した。
拠点を設けてから数日。
この「クヴァール」という島の調査を進めるとともに、暗雲の原因の究明が進められていた。
しかし、日を追うごとに黒く、黒く、より黒く。
その雲は晴れるどころか日に日に濃さを増し、太陽の面影すらも遠い存在になってゆくのが解かる。
周囲を調査していた調査隊からの情報と推察をもとに、恐らく原因は人型エレメント達を束ねるファスターニャクリム‥‥彼とともに島の中心にあるであろうと。
島の中心部、そこに何が、誰が待ち受けているのかは分からない。
この「クヴァール」という島にはあちこちに以前より強さを増したモンスターたちが徘徊している以上、ここは天然の要塞ともいえる。
彼らの長が何かを成し遂げようとしているのであれば、その要塞の最深部である中央に身を置いているのは酷く当たり前のことのようにも思えた。
ここでいつまでも調査をしているわけにはいかない。
ブリーダー達は指揮官の元、クヴァールのコアを目指すこととなった。
そこで判明したのが1つの難点。
海岸地点に拠点を設けた場所から直進した森を抜け、現状その場所に拠点を設けている。
ここから東北東へ進んでいけば、間違いなく島の中心に辿りつける‥‥筈だった。
次々に上がってくる報告をまとめ、現在作戦本部を統括しているのは指揮官であるヴィスター。
「森を抜けた先の東側には山脈が連なっており、直進は難しいという事が判明‥‥か」
この人数で、限られた物資の中で、暗雲により乱れ狂う魔力のバランスの中で、迫りくる刻限の中で‥‥。
山脈を突き進むのは確実に得策ではない。
それを回避させるのも、指揮官であるヴィスターの役目でもあった。
「‥‥進軍する」
指揮官の決断が下された。
選択されたのは、更にこのまま北上し、山脈を迂回して中心部を目指すルート。
だがしかし、ここ数日で得られた調査によれば、目指そうとしている北部はかなり酷い有様らしい事が判明している。
木々は枯れ落ち毒の沼地や瘴気が広がる腐敗した森が広がっており、挙句アンデッドモンスターが他と比べて遥かに多く巣食っているとの事なのだ。
しかし、悩んでいる暇はない。選べる立場であるわけもない。
「振り返らず、進め。誰一人欠けることなく」
そう。我々人間は、この島の先住者達から見れば「侵略者」であることに、違いないのだから。
───世界を救う。
皆がそんな大それたことを考えているわけじゃない。
ただひたすら、思い描くのは果てにある未来。先にある、夜明け。
戦いを終結させたいという強い願い。
『エレメント』という存在に対する、ブリーダー達の想い。
それらは何処まで届くのだろうか?
全ては、この森を突破してからだった。
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