●二項対立
「くそ、油断した‥‥!」
感情を露わに、ぎりぎりと拳を握りしめるラアの顔には憎悪の表情が浮かぶ。
「この程度、少し休めばどうってことないが‥‥ただ、連中をその気にさせた事だけが気に食わねぇ!」
ぎり、と奥歯を噛みしめる。気付けば掌には生温かいものが滴っていた。
なんなんだ?
あいつらは一体なんなんだ?
ニンゲンという生物は、自らのテリトリーを広げるに留まらず、エレメントへ殺戮の限りを繰返す。
挙句の果ては虐待ときて、更に今度は我々の領域に踏み込み、同胞たちの命を幾千と奪い去って行った。
その癖、対峙する時には綺麗事ばかり浴びせやがって‥‥反吐が出る。
汚い‥‥汚い、キタナイイキモノ。
『こいつの羽どうしたんだよ? これで飛べるのか?』
焼き尽く背中。
これほどの痛みを抱えても此処にあるのは、パートナーの為だった。
『いや、もうだめだ。仕方ないけど、致命的だから‥‥この子はもう‥‥』
待てよ。なんでだよ? 俺は未だ戦える。あんたの為に傍に居られる。
例え大空を自由に飛び回る事が出来なくても。この両の足が残る限り、俺は‥‥!
『くそ。お前が飛べたら話は違ったんだよ!』
『この、役立たずが‥‥っ」
用済み。
使い捨て。
尽くしたのに。
信じていたのに。
好きで‥‥好きで、飛べなくなったわけじゃない。
「許さねえ‥‥殺す‥‥殺してやる、全部!!」
ラアの咆哮が周囲の大気を震わせる。頭上に燦然と輝く太陽が、全てが、忌々しい。
「何様って‥‥あれでしょ。自分たちがこの世界の全てで、絶対的な存在だとか思ってるんじゃない。そうじゃなきゃ、できないでしょ。あんな事」
ペガサスの背に腰をかけ、白金の髪を揺らした少女‥‥オフェリエが冷たい瞳で呟いた。
あんな事───そこに含まれた言葉には暗く深い重さを感じる。
あからさまな嫌悪感が、その場に充満していく。
「襲われたから対抗する為に『仕方なく』、とかか? その台詞そっくりそのまま返してやる」
舌打ちとともに吐き出される言葉は全てが鋭利な刃物のように濁りのない鋭さを持って。
「貴方、卵が先か、鶏が先かって言葉‥‥知ってる? それと同じよ。連中に言うだけムダね」
アイスブルーの瞳が、人形のように伏せられる。
少女の、感情を極力押し殺したような呟きに、突如ラアが堰を切って笑い出した。
‥‥それはまるで、保っていた理性が狂気という雷に砕け散らされたか様に。
「勧善懲悪なんて、御伽の国の話だろ!? 俺らが悪!? じゃあ連中は何なんだ?」
以前の様な表情は、残ってはいなかった。
ただ、ひたすら。ぎらつく血色の瞳がうわ言を漏らして消えて行く。
「‥‥まともに動けないくせに、良く言うわね」
突如降ってきた音に、温かみの無い陶磁器のような少女の口元が歪んだ。
「シャルローム‥‥!」
オフェリエの視線の先、妖艶な笑みを浮かべた女‥‥シャルロームが立っていた。
「蛇女が何の用よ」
睨み据えているのは少女だが、しかし笑みを浮かべた女の方が遥かに威圧感を醸し出している。
少女の問いに答える気も無く、嘲るような色を含んだその笑みを残したまま。
シャルロームはそのまま翼竜の背へ身を翻す。
「指を咥えて見ていればいいわ。行くわよ、アルファフォヴィア」
翼竜の鱗を冷たい指先が撫でると、シャルロームを乗せたそれは空高く飛び立った。
●デコイ
「要塞がっ‥‥要塞が、大軍勢から襲撃を受けています!」
サームから飛び出してきた要塞の使者が、その報せを運んできたのは年も明けて間もない頃だった。
ギルド長室の主は入室を許可した使者へと視線を上げると、無言で先を促す。
「敵はクヴァール島より襲来! 数は‥‥も、申し訳ございません‥‥!」
頭を下げた使者から得られた情報は、敵戦力が測定不能なほどに多い事。
そして、要塞に構えるブリーダー達は死に物狂いで戦いを続けている事。
どのモンスターも全て要塞へと一直線に向かってくることから、明らかに何者かの意志が働いているであろう事‥‥。
最初はいつもより幾分数は多いが、やり過ごせると考えていたのだ。
しかし、倒しても倒しても衰える気配のないそれらは、次第により勢いを増しブリーダー達をあざ笑うかのように圧倒的な数で圧し始めた。
「‥‥持ちこたえられるか?」
もちろん、すぐに援軍を募る事は出来る。しかし、それほどの大軍勢を率いてきたという事は何かしら裏があるはずだ。
素直に要塞へと援軍を送り不用意に中央をあける判断を下す事は得策ではない。
問いかけられた報告官は、力強く首を縦に振る。
何とかして見せます。私たちは、ブリーダーですから。
瞳から伝わる強い意志は、要塞で奮闘を続ける全ブリーダーの総意でもあった。
クヴァールの方角より空から海から押し寄せる夥しい数の狂気。
最初は黒い染みのように見えたそれは、近づくにつれ徐々に横一線のラインを描き始め、気付けば空を埋め尽くす彼らのその恐ろしい姿をはっきりと視認できるようになっていた。
陽を遮る雲の様に、巨大な翼を広げ空を裂くドラゴンの群れ。
そしてその背には飛行能力を持たないものがうぞうぞと鳴りを潜める。
戦っても戦っても。傷ついても倒れても。
後から押し寄せる果ての無い波に、一時は要塞の防衛も危ぶまれたものの‥‥数日後、クヴァールからの襲撃は途絶えた。
人類は襲撃を振り払い、要塞を護りきることに成功したのだった。
───殲滅数、約3万。
それは、常駐ブリーダーの10倍もの数の大軍勢だった。
「‥‥その中に、人型はいたのか?」
オールヴィル・トランヴァースの言葉に、報告官は「いいえ‥‥」と応える。その表情は強張っていた。
現状、人類にとって最大の脅威ともいえる人型の存在なしにして、こうも簡単に人類を窮地に貶める事が出来るのだと‥‥からかわれているかのようで。
しかしブリーダーギルドもその間何もせずにいた訳ではない。
人員は招集し、いつでも非常時の体勢に備えられるよう準備を進めていた。
突然叩き付けられた大軍勢。退けたからと言ってこのまま静かに幕を引くとは到底思えない。
その直後。案の定、とでも言うべきか。
人類は、圧倒的な絶望色をした『裏』を、否が応にも知ることになる───
●狙い
「どういうことだ?」
オールヴィルは、補佐を務めるヴィスター・シアレントから告げられた言葉を思わず聞き返す。
「だから、増員していた要塞の監視が再度大軍勢の姿を認めたと」
淡々とした口調だが、その事実は決して淡白なものではない。
「違う、その次だ」
「‥‥先の侵攻を遥かに凌ぐ大軍で、正確な数は不明。しかし、目算的には先のおよそ100倍と言っても過言ではない密度の軍勢。‥‥つまり、敵軍約300万と言ったところか」
つまり、先日の約3万の軍勢は完全に小手調べ、様子見といったレベルの襲撃だったということだ。
しかしヴィスターは息を吐いて、さして大事でもないような風に報告を続けた。
「ちなみに、海からのみならず内陸からも侵攻を受けているそうだ。以上」
最後の最後で付け加えられた重要な内容に一度補佐の顔にちらりと視線を送るが、彼は涼しい顔でオールヴィルの様子を見ていた。
「有り得ない」
ヴィスターから受けた報告に眉を寄せながらも、そう断言する。
オールヴィルは先のクヴァール島第二次調査隊救出派遣の際にあの島へ渡った。
あの島の生態系も、潜在しているモンスターの種類や大凡の数にも見当をつけている。
有り得ないと言い切るに足る根拠を、彼はこの目で見ていたのだ。
「‥‥あの時の島と全く同じ状況であれば、そうだろう。けれど、今こうして現実に有り得ている」
頭を抱えるギルドの長の様子に、口添えるようにヴィスターが漏らす。
あの時とは『何か』が異なっている。この結果を導き出した『原因』が、必ずそこにあるはずだ。
しばらく思案した後、オールヴィルは立ち上がった。
「行くぞ」
「何処へ?」
ギルド長室の扉の前、ヴィスターに背を向けたままでオールヴィルは言う。
「相手戦力の急増について‥‥原因を、探る」
ブリーダーギルドに召集されたブリーダー達はいずれもギルド長から発せられる報告の数々に目を見開いている。
召集されていたたブリーダーの一人、ジル・ソーヤも戸惑いを隠せない表情で黙ってオールヴィルを見つめていた。
「要塞は、間もなくかつてない大戦の中心地となる」
海からはクヴァール島からの大軍勢。
内陸部からは、侵入を許したそれらの軍に加え、活性化した内陸部のモンスターたちの大軍勢が押し寄せる。
つまり、要塞は前後を完全に包囲される形となった。
「皆さんには、ここブリーダーギルドのサームより要塞へと現地入りし、それら軍勢を相手に要塞を護りきってほしいのです」
ヴィスターの声に、やや思案顔でいたオールヴィルが決したように続ける。
「それと‥‥クヴァールに渡った事がある人間にはわかると思うが、あの時、島に300万もの軍勢が潜んでいたとはとても考えられない。必ず何か糸引いているものがあるはずだ。その調査に手を貸してほしい」
裏を探って襲撃のからくりを‥‥破壊する。
「具体的には、どうしたら?」
ジルがおずおずと問いかけると、オールヴィルが頷き答える。
「クヴァール島とその対岸‥‥要塞の間にある海域に船を出し、海上で調査を行う。もちろん、海域には夥しい数の妨害に遭うだろう。調査のみならず戦闘も同時に行っていくことになる」
要塞を護るにしても、調査に行くにしても、どちらも想像を絶する激しい戦となることが容易に予測できた。
本当に、途方もない数の軍勢を退けることができるのだろうか。
誰もが抱える疑問を、口に出す者はいない。
要塞が抜かれること、自分たちブリーダーが敗れることはつまり。
息を呑むジル達に、長は告げる。
「ここを凌いでも、まだ次があるはずだ。だが、どのような状況にあっても最終目的はただひとつ。全てを護り抜き――誰一人欠けることなく、生還する」
「また欠席か。‥‥まぁ良い」
ただ一人分の空席を残し老大臣たちが仰々しく坐すその部屋は、たった一つの報告を受けるとざわめき始めた。
睨みつける老大臣の視線に耐えきれない様子で、報告官は逃げるようにその場を後にする。
「わざわざ調べに行っておきながら、連中がこれほどの勢力を隠してる事にも気付かなかったのか」
「あの役立たずどもが‥‥」
忌々しげに響く舌打ちがねっとりと静かな室内に響く。
「要塞から先は通させん。駒を集中させろ。厚みを持たせれば、何とかなるだろう」
まるで命の無い盤上のゲームで駆け引きをするかの様な乾いた言葉に、その場の者たちは下卑た笑いを浮かべた。
「そして、それほどの数の軍勢が意志を持って要塞を攻め落とそうとしている‥‥となれば」
「『頭』が居るはずだ。必ず、仕留めるよう伝えおけ」
頭。
つまりは、人型に進化を遂げたエレメント達。
決戦の時は、近い───
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