■NPCラア番外編ノベル 【Over the Rainbow】■
オレ達は、最初はただの魔力だった。
そこには個という認識は無く、全部で一つの存在で。
だから‥‥最初に「オレ」という存在に生まれ変わった時は、戸惑いと同時に嬉しくもあったんだ。
●Over the Rainbow
「今日から、よろしくな」
そう言って、世話係以外で初めて声をかけてきたのは人間の男だった。
オレをはじめ、そこにいた元魔力達は皆一様に人間の言葉をしゃべる事はできない。
けど、解かるんだ。
だから、オレは「宜しく頼むぜ」という言葉の代わりに、自分の羽根を精一杯広げて見せた。
オレの羽毛を撫でつけるその手はでかくて、そして、あったかい気がした。
‥‥人間、か。
「お前のパートナー、ハヤブサなんだな」
「まだ生まれたばっかの子供だけどな」
オレの相棒が、依頼仲間たちと話をしている。
そこには当人達以外にも当然オレ達の様な魔力が一緒にいて。
オレ達はしばしば「エレメント」やら「パートナー」と称された。
『きみ、この間生まれたばっかりなの?』
依頼仲間のエレメントがオレに問う。
そいつは立派な体躯のライディングホースで、まだ子供だったオレはそれが悔しくてそいつの頭の上にとまってやった。
『そうだけどなんか文句あんのか!? 素早さだけは負ける気がしねぇぞ!』
羽根をバサバサと広げて見せると、そいつは笑っていた。
健康そのもので威勢が良く喧嘩っ早い。社交性は△で、特記事項「性格にやや難あり」。
以上がオレの診断結果。
‥‥飛行速度に関しちゃ、誰にも文句言わせねぇからな。
「ラア、いくぞ」
『パートナーが呼んでるよ、またね』
名前を呼ばれたオレは急いで相棒の肩へと移動した。
『ああ、またな』
オレは、ラアという名を与えられた。
相棒曰く‥‥古代、ハヤブサの頭を持つ太陽の神がいたと考える教えがあったらしい。
その神は、名を「ラー」と言ったそうだ。
「お前を見た時、一目でつけようと思ったよ」
そう言って、相棒は笑った。
『オレはそんな名前好きじゃねえ。もっとこう、あれだ。ギガントとか、ガブリエとか良いのがあったんじゃねえの?』
オレの言葉は、通じない。
けど、通じてくれていると信じていた。
相変わらずよそのパートナーには『ラアのネーミングセンスは皆無だな』と笑われたが、皆、オレの名前は皆褒めてくれていた。
相棒がくれた名前。
オレは、それをとても誇りに思っていた。
『太陽の神様、か。ま、悪くねぇよな』
時折さんぽの時間に相棒はオレを好きに羽ばたかせてくれた。
この姿を取ってから、なんて不便なものだろうと幾度か自分の身を嘆くこともあったが、しかし嫌なことばかりじゃない。
大空を、縦横無尽に飛び回る事が出来るからだ。
羽根を打ち、高く高く、誰よりも速く。
風を切る感覚、空の声が聞こえる。
この際限なく広がる大気にいれば、ただの魔力であった頃の様に‥‥全部が一つに、一つが全部に。
溶けて混ざり合っていくような気がした。
人間は海にいるとそんな感覚になるようだが、オレから言わせれば母なるは「空」。
ここが、生まれる前にいた場所の様な気がしていた。
空の向こうには太陽がある。
曇ってても、雨が降ってても、ずっとずっとそこに。
夜の間だけ眠りに帰るみたいだが、太陽はいつも空に在った。
オレはいつか太陽と話をしてみたかった。
なんせ、オレの名前に由来するもんだ。結構すごいやつなんだろ?
『しっかし、いくら飛んでも太陽に近づけねぇなー。どんだけ遠くにいるんだよお前は』
時折ぼやくこともあった。
そんなに遠いんじゃ、流石のオレの速さを持ってしてもそこまで行けねぇよ。
相棒の仕事にくっついていく機会の多いオレは、多忙で時間がねぇからな。
ふんと鼻を鳴らすも、それはどこか誇らしくもあって。
遥か地上を見下ろせば、小さな点のようにみえる相棒の姿。
オレはそこへとまっしぐらに降下していった。
「なぁ。虹の向うには、何があるんだと思う?」
突然、相棒が妙な事を言い出した。
実際あの綺麗な光はなんだろうと、雨上がりにそれ目掛けて飛んで行った事もあった。
あの綺麗な七色の橋に乗りかかって、そこから太陽を眺めてみたくて。
しかし、虹は近づけば近づくほど見えなくなり、気付けばただ空だけがそこにあったのだ。
『虹? 別に虹の向こうには空しかねぇけど?』
相棒は突然どうしたのだろうかと、不思議に思いながら答えるものの。
「聞いても、わかんないよな」
そう言って、相棒はふらっとギルドの受付へ向かった。
『‥‥答えてんじゃん、バッカ』
このエレメントという体は便利で、楽しくて、そして‥‥ちょっとだけ、不便だ。
最近よく思う事がある。相棒と思い切り会話をしてみたいのだ。
虹の向うはなにもないんだぞって教えてやりたい。
そして、オレがどれだけお前を信頼しているかって、笑ってやりたい。
オレたち魔力には‥‥元々『笑顔』なんて概念はない。
長寿のとあるエレメントに聞いたが、『笑う』ことは、デミヒューマンの持つ特殊な感情表出行動の一つだそうだ。
動物の姿をとったとは言え、オレ達エレメントには彼らが解かる形で『笑顔』を作る事が出来ない‥‥と。
ふぅん、なるほどねぇ。
訂正。
エレメントって体は便利で、楽しいけど‥‥やっぱり、結構不便だったりする。
「次の仕事が決まった。失敗が許されない‥‥できるな、お前なら」
そう言って、相棒はオレに一通の書簡を手渡した。
『これを届けるのか?』
「ここからこの方角に真っ直ぐ、ラアなら2〜3時間飛べばつくだろう。その場所に森がある」
その森、上空から見れば直ぐに見つかるだろうが、開けた場所にある建物にこれを届けてほしい。
『そんなもん、オレには朝飯前だな』
「頼むぞ。何があっても、これを届けるんだ」
そう言う相棒の表情は、いつになく深刻な顔をしていた。
気になったけど、悩んでるなら聞いてやりたいけど、オレには人間の言葉は話せない。
今は気持ちをぐっと飲み込んで、相棒がオレに望む事をちゃっちゃと片付けてやろうと決めた。
『行ってくるから、大人しくしてんだぞ!』
オレがいなくちゃ、コンバートソウルもできないんだからな。
そう言って、大きく羽根を広げた。
丁寧に書簡を括りつけてもらった足にちらりと視線を落とす。
大事な手紙なんだろう。汚さないように、気を遣いながらオレは空へと羽ばたいた。
上空の風に乗った後、地上を振り返った時に気がついた。
いつもならしばらくそこでオレの飛ぶ様を見守ってくれていた相棒が、今日はさっさと家に引き返していた事。
『帰ったら‥‥何があったか聞いてみよう』
相棒の好きな山ブドウでも手土産に帰れば、きっと色々話してくれる。
だから今は、ひたすら飛ぼう。
オレは休みなく飛んだ。
相棒の様子が気になって、早く帰りたかったし。
それに、大切な仕事だって言ってた‥‥無事に成功させたらご褒美のおやつも待っているはずだ。
きっと、笑ってオレを撫でてくれる。
『あの建物、だな』
それは直ぐに見つけられた。
鵜の目鷹の目とはよく言ったものだが、オレは探し物が得意だった。
少しずつ陽の落ちる時間が近づく。
さっさと済ませるに限るな、とオレはその建物へ急降下を開始した‥‥その直後だ。
突然の事だった。前方からいきなり炎の玉が飛んできたのは。
『っのやろう!!』
オレはそれを裕に避けたが、しかし他にも炎の玉が次々飛んできているのに気付いた。
該当の建物の周りには何人かの人間が見える。
『あいつら‥‥ブリーダーか? くそ、何しやがるっ オレは暴走してねぇ! 相棒の手紙を届けに来たんだ!』
叫んでも、叫んでも、届かない。
わずか15mほどの距離にいるだけなのに。
その短い距離が尚の事、炎を避けるに条件を厳しくしていた。
もちろん、此処は危険だと飛んで逃げる事も出来た。
けど、そんな事してやるものか。
『この手紙を届けるんだ‥‥』
出立前の相棒の声が思い出される。
─── 頼むぞ。何があっても、これを届けるんだ ───
何が、あっても。
『くそおおおおおおっ』
渾身の羽ばたき。
急加速を加えた体がソーサラーを捉える。けど、やっぱり‥‥この体はちょっとだけ不便だったんだ。
襲いかかる炎の玉はオレと同じ位でっかくて。
咄嗟に手紙を庇うように、オレは‥‥羽根で体を覆っていた。
余りの衝撃。
気付けばオレは大地に墜ちていた。
見る間に燃えるのはオレの、羽根、か?
打ちつけられた体の痛みが麻痺するのと同時に、その感覚はオレの体全てを支配していく。
『ぐああああああっ』
地獄の業火に焼かれるとは、まさにこの事だろうと思う。
激しい熱と酷い痛みに地を転がりまわるオレを掴みあげ、一人の人間が乱暴にオレの足から手紙を奪い取った。
『てめ‥‥それ‥‥だけは‥‥っ』
それ以上の延焼を防ごうと、俺は必至で右の翼についた炎を消すべく地を転がりまわった。
これが、鳥類にとって‥‥いや。オレにとってどれほど屈辱だったかは連中にはわかりはしないだろう。
「これだな。例の作戦を、開始する旨が綴られている」
『何が何だかわからねぇが、その手紙を返せ‥‥っ』
声は、届かない。誰にも。決して。
「決まりだ。文の主を泳がせ、決起直前に総攻撃。全員完全に無力化すること、いいな」
『オレの翼‥‥無くなってる』
意識を取り戻したオレは、相変わらず想像を絶する苦痛に襲われていた。
この痛みが、なんとか自分が生きているということを認識させてくれるけれど、右の翼は完全に焼失していた事に気付く。
オレの体からは肉の焼け焦げた匂いがして、その意味を理解した途端、強烈な吐き気に襲われてひとしきり嘔吐を繰り返す。
片方の翼で飛べるんじゃないかと試してはみたが‥‥オレは、もう、飛べなかった。
それでも、生きてる限り相棒の所に戻らなくちゃ。
手紙が奪われたことを、伝えなきゃならない。
あいつらが言っていた事の意味は半分もわからないが、少なくも相棒に危険が迫っていることだけは解かる。
空を飛べば数時間のその距離を、オレは三日三晩歩き続けた。
家に辿り着いたときは、安堵で狂い死にそうな気がして。
木戸を嘴で数度つつくと、ようやく扉が開いた。
「‥‥生きてたのか、ラア」
オレを困惑気味に見つめた相棒の第一声は、それだった。
オレを抱きあげた相棒は、テーブルにオレを乗せる。
「まさか、帰ってくると思わなかった。悪かったな‥‥」
オレの事、死んだって思ってたんだな。もっと早く帰れば良かったと、少しの後悔。
しかし、それより何より伝えたいことがあるのだ。
『あそこの家で待ち伏せしてた連中がいたぞ!なんか間違いでもあったんじゃねえのか?』
‥‥でも、聞こえてないし。
「俺たちの組織が決起するのを狙って、国の連中が動く。全員生死を問わず無力化されるようだ」
悲痛な溜息が聞こえると同時に、相棒は今まで見せたこともないような表情で強くこぶしを握りテーブルを叩きつけた。
「もう‥‥おしまいだ‥‥」
おしまい? そんなことない、オレがいる。大丈夫だ。大丈夫なんだ。
言い聞かせるように、俺はテーブルに突っ伏した相棒の頭を残った羽根で覆った。
反社会運動。
それが示す意味はオレにはよくわからねぇが、そこに集ったエレメントたち曰く。
『国を統治する側がいる限り、統治される側がいて、そして権力を持つ者がいれば、声が届かない者もいる』
繰り返すが、オレにはやっぱり意味がわからねぇ。
踏み躙る者と踏み躙られる者。搾取するものとされるもの。
いつの時代にもこういった活動をする組織は必ず存在するという事なんだろう。
異種族間戦争、国家間戦争、国内闘争。
現状「暴走エレメント」という共通の目的がある為に大っぴらな活動はしていない。ただ、それだけ。
公に見えないっていう、だけ。
「ラア、俺の新しい相棒を紹介するよ」
あの日。
オレは相棒やその仲間たちと共にある拠点に居た。
そして突然、相棒は二人目のエレメントを連れてきた。そいつは‥‥やっぱり、ハヤブサだった。
「これからは、こいつと一緒に戦う事になった。ラアは、ゆっくり休んでくれ」
相棒は、そう言ってそのエレメントと一緒に部屋の外へ向かった。
『なんでだよ! オレがいるだろ? コンバートソウルができるんだから、まだまだ戦えるし、足だってある!』
オレは、届かない声で叫び続けた。けれど、扉は重たい音を立ててオレと相棒の世界を別った。
「おい、ラアはどうすんだ?」
「もう飛べない以上、連れて歩くことも大変だし‥‥それに、相棒をかばって戦えるほど俺は強くない」
「綺麗事言うなよ。結局、足手まといってとこだろ」
扉の外から聞こえてきた会話は、そこで途切れる。
休むことなんて知らない。
ずっと一緒に戦ってきたから。
何をしていればいい? どこにいればいい? オレの居場所は、お前だけだったのに。
しばらくそこで混乱した状態のまま、オレは立ち尽くしていた。
しかし、突如聞こえてきた轟音。
拠点のあちこちから漂ってくるこの匂いに気付いて、俺はまた吐き気を覚える。
『燃えてる‥‥拠点が、襲われてるのか?』
右の翼はなくとも、その分鍛えた足がある。
オレはそこからやっとのことで部屋を抜け出し、拠点の外へ辿りついた。
しかし、その頃には‥‥何もかもが、終わっていた。
「全構成員の無力化を確認」
「後始末は頼んだぞ」
辺り一帯を包む嫌な臭い。拠点の彼方此方から悪趣味な炎が燃え盛っている。
血を流して倒れている者や、今目の前で光となって姿を変える仲間だったエレメントたち。
そして‥‥
『うわあああぁあぁぁぁぁあっ!!』
相棒であったと思われる、人間の焼死体。
未だ炎に包まれているそれは相棒であることを証明するかのように、血に塗れる見慣れた武器だけが隣に転がり落ちていて。
「エレメントが一羽、出てきましたね」
「なんだ、そいつは? 翼が片方無いじゃないか」
そんな役立たず、放っておいてもどうにも出来まいよ。
そう言って、目の前の連中は踵を返して行った。
相手にもされない、虫けら同然の扱い。
勝手な都合で戦いだして。巻き込んで殺して、はい、終わり。
エレメントの世界にエレメント同士の争いなんて無い。縄張り争いが精々で、食物連鎖に従うだけ。
それはひどく自然の摂理に従った行為であって、大規模に‥‥そして一方的に命を奪う事なんてしない。
人間はなぜ、同じ種族で蹴落とし殺し合いそして憎み合う‥‥・?
わからない。オレには到底解からないし、今後も解り得ないだろうし、そもそも解かりたくもないと心底思った。
ただ現状オレにわかるのは、オレは思いつく限り全てのものを失った。ただ、それだけだった。
『くそ‥‥ニンゲンっ‥‥殺す‥‥殺してやる!!!』
その瞬間。
オレの目の前が深紅に染まった。
真っ赤な血の雨がオレの身体を同じ色に染め上げ、そして、目の前の男たちは次々と倒れてゆく。
しばらく動けなかった。
男たちを殺したのは人の形をした何かだった。
人ではないことは確かなのだ。なぜなら、オレと似た匂いがするから。
そいつは、恍惚とした表情で笑い声をあげた後、途端に動かなくなって。
自らの返り血を拭うと、オレの元に歩いてきた。
『手酷くやられたようだね』
そいつはオレの焼け残ったみすぼらしい羽根をそっと撫でた。
途端に、その手の暖かさに相棒と出会ったばかりの事を思い出し、重ねてしまった。
ニンゲンには聞こえない、ハヤブサの慟哭が辺りに木霊する。
そいつは、オレの気のすむまで、ただ隣で静かに待っていてくれた。
『さぁ、行こう』
オレが静かになると、そいつは立ち上がった。
『こんなじゃ何処にも行けねぇし、もう、オレには帰る場所もねぇよ』
自然と、弱音が口を吐いて出た。
誰にも言うつもりはなかったのに、そいつの前ではなぜか素直な気持ちになれたんだ。
どうしてだろう。どこか、似た匂いがするからだろうか。
理由なんて、もはやどうでもよかった。
『大丈夫。お前には、その立派な両脚がある』
だから、行こう。
そいつは、オレにそう言った。確かに、行こうと言ったんだ。
後背に、一筋の虹が見える。
そうして差し伸べられた左手が、オレの最後の居場所になった───